昨晩に休むためにふとんに入って、いつものように本を手にしていました
ら、窓のところが小さな音でカタカタとなりまして、隣の部屋におかれていま
当地はいつもよりもすこし揺れていたように思いますが、そんなにひどいこ
とにはならずで、震源地に近いところでは震度6強というのに驚きました。
震度6強というと、あちこちで相当に大きな被害がでたかなと思いましたが、
亡くなった人はいないようで、これは不幸中の幸いでありますか。
それにしても、忘れもしない2011年3月11日から十年もたたないというのに、
ずいぶんと大きな地震が続くことであります。
本日はあれこれと予定がありまして、ゆっくり本を読むことができずであり
ました。夜になって、古井由吉さんのエッセイを読んでいましたら、次のくだ
りがありました。古井さんが進学した高校に関してです。古井さんは中学三年
のときに盲腸から腹膜炎となって、高校受験の機会を逸して、4月になってか
ら病院から受験した三次募集の高校に合格し、進学することになったという
話となります。
「そうして入学したのが獨協高校です。もともと米英仏にたいしてドイツの学
を学ばせるという権力者たちの肝煎りで出来た学校ですが、戦後のドイツは敗
戦国だから、当時はすっかり落ちぶれてしまっていた。・・隣の四組はドイツ
語が第一外国語の伝統的なクラスなのですが、ひとりガキ大将がいましてね。
そのガキ大将とは、のちの故・古今亭志ん朝師匠。彼はその頃落語家になる
料簡はなく、外交官になろうとしてドイツ語を第一外国語に選んでいたのです。」
高校を終えてから、古井さんと志ん朝さんに接点があったのかどうかわかり
ませんが、古井さんがドイツ文学に進んだのは、高校でドイツ語を多少かじっ
たことと、「同じ敗戦国の文学ということがあり、戦勝国の方へなびく風潮に
いささか背を向けていた。」とありますので、これは勝ち馬にはのらないと
いうことですね。
その昔のドイツ文学を専攻するというのには、こういう背景の人もいたのです
ね。