これくらいあっという間に読んでしまえよなと、朝から西村賢太さんの「雨滴
は続く」を手にすることにです。すこし読んだらトレーニングに行くことになり、
戻って何ページが読んだところで、買い物へと出かけることになって、さっぱり
ページが稼ぐことができないことです。
なんとか、本日中にあと100ページくらは読みたいのですが、ちょっと難し
いかな。
西村さんの本を読んでいると、ほんとにそのとおりだよなと思うくだりがあち
こちにありで、同感しながら読みすすみます。たとえば、次のようなところです。
「現在流行っている書き手だって、今は持てはやされていようと、その作が十年
後もそのまま通用するわけでもないことは明白なところだ。それは過去の、明治
からの小説史が如実に、歴然と物語ってもいる。
だから、源氏斯界を席巻している”ケータイ小説”なぞと云うものも、あと十年の
のちには誰も読みもしなければ評価もしないのは、もう分かりきったことである。」
これに続いて西村さんは「一篇も読んだことがないし、これからも読むつもりは
ない。」と続けるのでありますが、これは当方も同感でありまして、西村さんは
いたってまっとうな考えの人であるなと思うのですね。
そうでありますのに、そのすぐあとには、それはないよなというシーンが現れる
のでありますね。これまで読んでいるところでは編集者さんへの罵詈雑言は発せら
れていないのですが、日頃から世話になっている古書店主には、ひどい物言いで
あります。そのことは、自分でも分かっているようなのですが、とにかく自制がき
かないのでありますね。
「あらゆる点において新川は貫多にとっての一種の恩人ではあるのだが、根がひた
すら馬鹿で忘恩体質にできている彼は、そんな新川の善良さをいいことに、これに
未だ大いに悪甘えしながら、半ば悪フザケ的にぞんざいな口調で接してやるのを自
ら面白がっているうちには、いつかそれがすっかり常態化していってしまったので
ある。」
そういえば、「文學界」が西村さんの追悼特集を掲載したときに、この古書店主
さんが登場して、談話をのせていましたが、結局、西村さんの蔵書はこの古書店主
が処分にあたることになったとありました。