昨日の新聞をみていましたら、GVという略語がのっていました。DVと書か
れたら、それは配偶者間の暴力ということを意味すると、わかるようになって
いますが、このGVというのも、日本において定着するでありましょうか。
このGVという略語があったのは、千葉大学で「全学の学生を対象に実施
する授業『グローバルボランティア(GV)」を学ぶ学生たちの活動を紹介する
記事でありました。
このGVというのは、「毎年30〜50人ほどが学ぶ。授業期間は通常5月か
ら翌年3月までだが、メインは長期休暇を利用して国内外で行うボランティア
活動。学生は大学が認定したプログラムの中から選んで体験する。豪州や
アフリカ、東南アジアなどでNGOの仕事を手伝う活動や、千葉県内で日本語
を使えない外国人の子どもの学習支援する活動、成田空港で外国人客の
案内をする活動などがある。」とありました。
単位をとる条件は、50時間ほどの活動をして、事後学習に参加し、活動報
告書を提出することとありますので、これは簡単に単位をもらえない講座と
いえるでしょう。
今回の新聞記事は、この講座の人たちが作っているサークルで映画上映
会をやったという話なのですが、講座を担当する先生が紹介されていて、先
生も含めて上映会メンバーの写真が掲載されていました。
その写真には、全部で16人が写っているのですが、男性は4人で、先生も
含めて女性が優勢であります。
その写真に写っている先生とおぼしき方を見ていましたら、これは千葉大
学 酒井啓子さんのグループであることがわかりました。酒井さんのおすまし
の顔は見たことがありましたが、ふだんは、このような感じであるのか。
そう思って、今月に届いた「みすず」に掲載の酒井さんの文章を読むことに
なりです。今月のお題は「イラクと中東の『朝』は」であります。
酒井さんがいう「朝」とは、映画「レナードの朝」に描かれた世界でありまして、
それと中東における若者たちのデモや蜂起の風景を重なりあわせるのであり
ました。
酒井さんの文章の終わりのほうにあるくだりです。
「それでも人々は繰り返し、立ち上がる。今回もうまくいかないかもしれない。
でもやってみないとわからない。そのために多くの人命が失われるかもしれ
ない。それでも人々は立ち上がる。
立ち上がった人たちを、外国の介入がその道を歪める。でも、なんでも外国
のせいにする陰謀説には踊らされない。大国の意向のもとに自分は無力なん
だという、自己卑下にも陥らない。そんな決然とした自我を作り上げること、
それこそが、『解放区』の意味だったのではないか。何度眠らされても、
いったん覚醒した自我は、再び目覚める。」
「決然とした自我、覚醒した自我」でありますか。自分のこととして捉えると
ほんと心もとないことであります。