海を渡った芸人 6

 旧ソ連で活動していたサーカス芸人は、日本とソ連の関係悪化と、スターリン支配
が強化されることにより、厳しい現実に直面します。
 これは1937年7月にソビエト共産党が、次のような見解を機関紙に発表してことに
よります。大島さんの「明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたか」から引用です。
「日本の諜報機関が、ソ連内に特別な技術をもったエージェント(日本人)を、深く
定住させる目的をもって、派遣しているという例は、すでにソ連の印刷物にも引用さ
れている。
 亡命労働者、サーカス芸人、『左翼的』知識人(舞台演出家、文学者等々)など、
多種多様な当たり障りのない看板のもとで、ソ連に潜入したこのようなエージェント
たちは、特別に訓練された諜報の専門家に属し、彼らとの闘争は、困難であり、しか
もまだ解決されていない課題である。最近夥しい数にのぼる、非常に巧妙に偽装した
日本人スパイの秘密が明かされ、暴露されていることから、これが証明されている。」
 当時のソ連にどのような日本人がいたのかはわかりませんが、日本人を見ればスパ
イと思えでありまして、日本人は次々と逮捕され、追放されるか拘束されることに
なったわけです。
 とにかくソ連では国をあげてのスパイ狩りでありまして、密告大歓迎となるわけで
あります。これも大島さんの著作からの引用でありますが、ソ連の高官は、次のよう
に発言したとあります。
「諸君が、生者の間に留まりたいならば、互いに告発し合え、互いに密告し合え。」
 人間というのは、世の東西を問わずこうした精神状況に陥るもののようです。
このようなときに、不用意な発言でもしようものなら、あっという間に当局に密告
がはいってご用となってしまうのです。
 もとサーカス芸人であった日本人が、これによって逮捕され、処刑されています。
 現在は、名誉が回復されているということですが、このもと芸人さんが追い込ま
れていくドキュメントが、「明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたか」の一番
の読みどことなります。
 ちょうど、このくだりを小樽にむかう列車のなかで読んでいたのですが、小樽に
ゆかりの夫妻が、ほぼ同じ時代にロシアで逮捕されているのを思い浮かべました。
大島さんの文庫本に取り上げられているもとサーカス芸人さんと、小樽にゆかりの
ニコライ・ネフスキー夫妻(奥様は積丹町の出身で、ネフスキーが小樽で勤務して
いたときに知り合った。)が奇妙に照応をしました。