ありえへん人 3

 先日に注文してありました加藤九祚さんの「完本 天の蛇」が届きました。
 2011年4月に刊行されたものですが、これの楽しみは巻末に増補された40ページ分で
あります。
 ネフスキーが日本で生活をしていたのは1915年から1929年のことですから、今から
百年前のことで、ちょうどロシアにとっては帝政からロシア革命にはいっていこうと
する激動の時期であります。ネフスキーにすれば、国を離れているうちに国のありよう
が一変してしまったことになります。
 このまま日本にとどまって研究生活を続けるか、それとも帰国して日本・中国文化を
教える生活に転じるかに悩んだ結果、まずは1929年家族を日本に残したまま帰国し、そ
れから3年後には日本人の奥さんと娘さんもロシアにわたることになります。
 それが結果としては、悲惨な結果となりました。1976年の初版当時には、スターリン
体制下において、ネフスキー夫婦は1937年に逮捕され、1945年に夫婦ともに死亡と記さ
れていました。(奥さんにとっては、ロシアにわたって4年後のこと)
 完本では、ネフスキー夫婦が亡くなるにいたった経緯についてが記されているのです
が、それはこれまでの定説とは大きくことなっています。こうした事実が明らかになっ
たのは、ソ連邦の崩壊によってであります。
 それまでの極秘資料が公開となったり、過去の証言を得やすくなったことがあります。
それで思いだすのは、ワシリー・エロシェンコの足跡を訪ねて、やはりあいまいであった
亡くなったときのことをはっきりとさせた高杉一郎さんのことであります。
ロシアから日本にわたってきたエロシェンコは、日本から国外退去になり、ロシアに戻り
ネフスキーと同じように亡くなったのであります。
 加藤九祚さんと高杉一郎さんは、共にシベリア抑留された人と思って、完本「天の蛇」
をみていましたら、増補ページに大阪外国語大学教授田中泰子さんにふれたところが
あって、そこに次のコメントがありました。
「私がシベリア抑留のとき、一時同じ収容所で暮らし、多くのことを教えていただいた
英文学者、高杉一郎さん(本名 小川五郎)の長女」
高杉一郎さんと加藤九祚さんは、収容所で面識があったと知って驚いたのですが、大阪
外大 田中教授(高杉さんの長女)のところが、日本でのネフスキー研究の拠点の一つ
とあって、不思議な人のつながりにも驚くことであります。