ありえへん世界 6

 加藤九祚さんが「天の蛇 ニコライ・ネフスキーの生涯」の元となったものを発表
したのは、東洋文庫「月と不死」の解説としてでしたが、その後76年に単行本となり、
そのときに大佛次郎賞を受けています。
 「天の蛇 ニコライ・ネフスキーの生涯」元版が書かれた時点では、ネフスキー
逮捕されて亡くなっていたことはわかっていましたが、その詳細は発表されていません
でしたので、加藤さんは、「ネフスキーの夫妻の逮捕」という章について記していま
すが、これには「以下は、ネフスキーの逮捕をめぐっての、著者の創作的エチュード
ある。」とあります。
 調べてもその調査に限界があったのでありましょう。これの「完本」がでたのは、
2011年となり、その後、情報公開されてネフスキー夫妻の亡くなった日について、
新事実によって書き換えられているとのことです。
 当方は、いまだに完本を手にすることはできていませんが、ネットでみますと、
ネフスキー夫妻は1937年に銃殺で亡くなったとのことです。
 ここでは、「天の蛇 ニコライ・ネフスキーの生涯」元版より、加藤九祚さんの
過去の記述から「創作的エチュード」を引用することといたしましょう。
「公式発表によると、ネフスキーは1945年2月14日に死亡した。逮捕されてから7年
あまりの歳月がたっているが、その間シベリアのどこかの収容所にいたのであろう。
本より重いものを持ったことのない痩身のネフスキーができたことは、せいぜい風呂
たきか便所掃除くらいのものだったと思われる。・・・・
 イソは、公式発表によると1945年12月13日に死亡した。ちょうど十ヶ月ネフスキー
より長生きしたことになる。しかし彼女はネフスキーが死んだことも知らなかったで
あろう。ただ夫と同じように、夫の故国、ロシアの大地に葬られたことは、彼女に
とってもせめてのもの救いであったと私は考えざるを得ない。彼女の故郷入舸村の
自然と人情がどんなに美しくとも、それは所詮、若い日の思い出の中にしかないもの
である。若い日の彼女は、ロシアの大地で、このような形で死ぬとは想像もしなかっ
たにちがいない。・・・・私は、イソの死が、日本とソ連とを結ぶ橋の役割を永久に
果たしているものと信じたい。」
 スターリンが指導する体制下において、行われた大粛清によっていったどのくらい
の人が命を失ったのかでありますが、もちろん、これは国家機密でありまして、
長らく、それは明らかにされませんでした。公式に1945年に亡くなったことになって
いたネフスキー夫妻の死亡年が明らかになるに60年もの時間が経過していました。
 もちろん、これは国家体制がかわったことになってのことですが、これはいかにも
教訓的な話ではありませんか。