海を渡った芸人 4

 「海を渡った芸人」なかでも、欧州で活動をしていたサーカス芸人というのが、
大島さんのフィールドであります。
 当方はいまだ未読でありますが、今回の著作の前に、次のものがあります。

 明治期にロシアも含めたヨーロッパの芸人が巻きこまれたのは、戦争と革命です。
戦争は日露戦争第一次世界大戦で、革命はもちろんロシアでのものであります。
ずいぶんと古い話でありますが、すでに百年以上も前にヨーロッパのサーカスで
活躍していた芸人さんがいて、そのなかの一人が、手記を残していたことで大島さ
んの著作につながったとあります。
 どちらにしても明治から昭和のはじめにかけての話です。
 今回の「なぜロシアに消えたのか」は、ロシアで活動をしていたサーカス芸人
さんたちが、遭遇してしまったロシア革命に関わるものとなります。
 もともとロシア革命というのは、サーカス芸にとっては追い風となるものであり
ました。
 大島さんの新潮文庫「明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか」から引用
です。
「革命はサーカスには追い風となった。時代は、サーカスを求めていたのである。
 サーカスを革命文化の重要なジャンルとして位置づけていたのが、革命政権の
文化大臣に当たる教育人民委員ルナチャルスキイであった。
 演出家メイエルホリドや詩人マヤコフスキイなど、ロシア・アヴァンギャルド芸術
家を多く当用し、芸術と革命の一体化を推進していたルナチャルスキイは、サーカス
の使命をこう定義していた。
『サーカス場はいま人でごったがえしている。集まった客をみるがいい。これこそ、
われわれの観客なのだ』」
 ここでロシア前衛派は、サーカスに目覚めて、それに関わっていくようになるの
であります。
「しかしサーカスと演劇の蜜月時代はそう長く続かなかった」とあります。