先日の読書欄から

 3月8日の朝日新聞読書欄で柄谷行人さんが川村湊さんの「紙の砦」を取り上げてい
ました。

紙の砦―自衛隊文学論

紙の砦―自衛隊文学論

 最近の本であるのに、リンクに書影がでないと思いましたら、インパクト出版会
ものでありました。
 柄谷さんの書評の最後のくだりを引用です。
憲法9条があるかぎり、自衛隊は不在の騎士でありつづけるだろう。いかに憲法
解釈を変えても、自衛隊は『紙の砦』にとどまるほかないだろう。そもそも自衛隊
憲法解釈の産物なのだから。
 ゆえに、真に戦う軍隊を作るためには、憲法9条を変える以外にない。そして、その
ためにはまず、堂々と改憲を掲げて総選挙で勝てばよい。では、なぜそうしないのか。
負けるに決まっているからだ。」
 国民に受け入れられる改憲を訴えていくというのが、現在の国会の多数を占めている
というのが現状でありまして、改憲する必要がないと言い続けるのは守旧派とレッテル
をはられかねないことです。もちろん、憲法9条を変えるのではなく、国民生活に不可
欠なことからといわれると、それならいいかと思うのですが、自衛隊ですら解釈で許容
されるとすれば、あえて改憲を言い出すのは憲法9条に狙いをさだめてのことでありま
すね。
 しかし、最近の風潮を見ますと「負けるに決まっているからだ。」と言いきれるよう
な状況にあるのかどうかであります。
 本日、読んでいた小説にあった一節です。(1968年に発表されたもの)
「小生は日本の右翼がなぜヒトラーのように憎しみという心理を重視しないのかどうし
ても分かりません。ヒトラーベルサイユ条約共産党ユダヤ人、この三者への憎悪
を使ってドイツを支配しました。
 日本で右翼が権力を握るにはやはりこれしかないと思います。偉人の知恵に学ぶのが
なぜ悪いのでしょうか。これこそニュー・ライトの道だとご高訳を読ませていただいて
悟りました。
 しかしながら反米(ベ条約に当たる)は、現時点の日本のアメリカ依存が甚大にすぎ
て見込みがないし、左翼は弱体すぎて憎悪の的として充分な資格を持っていません。
結局朝鮮人ユダヤ人に当たる)がいいと思って(この選択はまったく純粋に理論的な
ものです。)朝鮮人排撃を綱領に取入れることを方々に(黒田先生を含む)進言しまし
たが、どうもうまく行かないのです。
 日本精神に憎しみはなくて愛と大慈大悲があるだけなどといわれても、のみこめませ
ん。
 奇妙なことにオールド・ライトは、大東亜戦争という誰が見ても他民族・他国民への
侵略戦争であるものを、あれは他民族・他国民を救うためにたったのだと言い張るので
す。そういう日本の伝統的精神と君の考え方とはまったく矛盾するなどと批評されま
した。」
 上に引用したのは、丸谷才一さんの中編小説「思想と無思想の間」という作品に
あったものです。これは若い登場人物が主人公にむけた書簡にあった部分ですが、
これが書かれて50年でありますが、在特会の活動、日教組日教組とやじる首相、
グローバリズムの波と、ちょうど来日中のドイツ首相に心配されても不思議ではありま
せん。
この中編小説は、文春文庫「年の残り」に収録されています。
年の残り (文春文庫)

年の残り (文春文庫)