古新聞の整理

 本日は片付け作業を行っていました。ずいぶん前には新聞のスクラップをしてお
りまして、その昔の「文芸時評」( 石川淳吉田健一丸谷才一など)や吉田
秀和さんの「音楽展望」などは欠かさず切り抜いてスクラップ帳にはりつけていた
ものです。
 いつかは切抜きするのだととりよけてある新聞が山のようにありです。たぶん
そのようにしてほっとおかれているのが20年分くらいもあるはずで、床下の室の
部分にあるものは、どんなことになっているのか。
 本日手にしていたのは、ごく一部でありますが、なかなか簡単に処分することは
できずで、結局はかなりの部分を残すことになったようです。吉田秀和さんの音楽
展望などは、ほとんど単行本に収録となっているのですが、なんとなくどうせ読む
なら初出の新聞の紙面でという気分になります。
 そんなことをしながら、古いスクラップブックを取り出してみましたら、これを
ぱらぱらとめくるだけで楽しいのですね。
背中に「読書」と手書きされたスクラップは、70年代はじめ頃の切り抜きである
ようで、一番最初には「標識のある迷路」を刊行したときの谷沢永一さんの紹介記事
がありました。75年3月3日の読売新聞読書欄のものです。この時代には、谷沢
さんの新刊がでると買っていたのでした。(「標識のある迷路」は購入せずでした
が。)
 何枚かめくると、そこには「近況」というコラムがはられていて、日付は69年
1月27日で、そこには吉田秀和さんと丸谷才一さんが小文を寄せていました。
吉田さんのは「母の死に思ったこと」というもので、この文章の最後のくだりにあ
る「私は母に一度も叱られた覚えがなく、母が大好きでした。」というのを読んで
吉田さんの音楽会評を注目するようになりました。
 丸谷さんは「三つ目の長編に取組む」ということで、その時に「中編小説、短編
小説」をしばらく書くのを休んで、長編小説にとりかかっている。と言っても、
せいぜい五百枚くらいのわりあい短いものになるはずである。」と書いていて、こ
れは「たった一人の反乱」のことでありますね。
 69年1月といえば、当方は誕生日前でありますので、17歳の高校二年生であ
ありました。