「海鳴り」26号 3

 「海鳴り」26号を手にしていましたら、過去の号のことが気になりました。
過去の号は届いた時にさらっと見ているはずでありますが、山田稔さんの文章で
さえ、内容を忘れているくらいでありますからして、バックナンバーを取り出して
きますと、次から次へと気になる文章ばかりであります。
「海鳴り」は捨てられない冊子でありまして、これまで送っていただいたものは、
すべて保存されているはずです。手元にある「海鳴り」の一番古いものは、7号と
ありました。1990年10月刊行とありますので、今から25年ほど前のことになります。
 昨日に話題にした枡谷優さんに言及したものが、どこかにないかと思って探して
みましたら、2008年の20号に枡谷さんの文章がのっていました。
高橋新吉さん」という題のエッセイで、枡谷さんが禅を修め、詩を書いている
高橋新吉さんに親近感を感じて、自分の第一詩集を送り、返事をいただいたこと
から、東京に住む高橋新吉さんを訪ねたときのことを書いています。
訪問は昭和53年のことだそうですから、「海鳴り」掲載時から30年ほど前のことに
なります。
 なるほど、枡谷さんという方は禅に取り組んでいた人でありましたか。
「ぼくは昭和二十七年に山田無文老師から無門関第三十七節の『庭前の柏樹子』の
公案を与えられていた。勿論解けない。居士として大阪の少林院で横山文綱師の
指導の元に座禅を毎週土曜にしていただけである。
 他人の解説を読んでなにか端緒をつかもうとは、はなはだ不埒な考えである。
いまもって解けないが、当時新吉さんが禅を修め、詩を書いておられるのに親近
感を覚えたのである。従って不遜にも同学の士と勘違いをした。」
 この新吉さんが、あの「ダダイスト新吉」と同じ人物であるとは知らなかった
という話でありました。