「海鳴り」28号

 本日、編集工房ノアさんから「海鳴り」28号が届きました。昨日に「三月書房」の
サイトを見ていましたら、「海鳴り」が店に届いたとありましたので、ノアさんが
当方に送ってくださっているとしたら、近日中には手にすることができるかなと思っ
ていましたが、予想よりも早くに届きました。いつもながら「編集工房ノア」さんに
は感謝であります。

 「海鳴り」の目玉といえば、山田稔さんの文章を読むことができることであります
が、当方にとっては編集工房ノア主人 涸沢さんの文章を読むこととなります。
涸沢さんの文章は、表紙目次に記載がなく、そっけなく冊子の一番最後におかれて
います。28号を手にした当方が、一番最初に読んだのは、この涸沢さんの文章「鶴見
さんが居た」でありました。
 鶴見さんとあるのは、もちろん鶴見俊輔さんのことでありまして、ノアが刊行した
「象の消えた動物園」をめぐる思いを綴ったものです。
 当方の目を引いたのは、次のくだり。
「いよいよ、装幀は、鶴見さん所蔵の須田剋太さんの絵を使うことになり、京都岩倉
の自宅に、うかがうこととなった。
 道順、交通がくわしく、貞子さんからFAXされて来た。自宅にいくのは二度目。最初
『家の中の広場』出版の時、発案者であった友人の小笠原信に連れられるかたちで
行った。・・・タクシーで通る時、石の鳥居をくぐったのを覚えている。三十余年前
のこと。」
 岩倉には知人が住んでいて、先週に上賀茂神社の手作り市に行ったとき、その足で
知人宅を訪ねました。これが慣れていない者には、えらくわかりにくいことでありま
して、知人からは地下鉄の駅からの道順を教えてもらいました。彼がタクシーにのっ
たとき、このようにして道案内するというものがメールで送られてきました。
「岩倉中通り村松の方面にむかい、コンビニで右折、そのあとさらに右折すると
長谷八幡宮の参道に入る。」とありました。
 涸沢さんが書いています「石の鳥居」というのは、長谷八幡宮につながるものの
ようでありまして、これは当方もくぐった記憶がありです。
そういえば、知人の住まいは鶴見宅とはご近所であるらしく、昨年に鶴見さんがお亡
くなりになったあとに、鶴見という表記のあるお宅には「高齢のため弔問はご遠慮ね
がいます」というような貼り紙がされていたと連絡がありました。
 あのお宅には、もう鶴見さんは居ないのか。