しんとく問答 7

 小説「しんとく問答」は、連作集の巻末におかれるのですが、この作品は俊徳丸
伝説の地、俊徳丸鏡塚古墳を訪問するというものです。
 この鏡塚古墳のことは、今ではウィキペディアで確認をすることができるのですが、
後藤明生さんが訪問した時は、場所がわかりにくく、たどり着くのに苦労するという
ストリーになります。
 このストリーと俊徳丸、信徳丸と折口信夫の小説「身毒丸」が混じり合います。
折口信夫が登場してから話は急に難しくなってきます。
折口信夫身毒丸=天竺丸説からすうっとここへつながったのは『百済王の後に
して』のせいだったかも知れない。
 そしてここではついに俊徳丸=信徳丸=新徳丸=身毒丸=真徳麿となった。」
このように書かれているところを引いても、ちんぶんかんぷんでありましょうが、
後藤さんは、大阪から河内にかけてを歩いて、朝鮮半島からの渡来人の足跡を確認
していたようであります。
 後藤さんが日本が支配していた時代の朝鮮で生まれたことと、それは関係がある
のかもしれません。当方は、後藤さん朝鮮について書いた文章を読んでみたく思い
ました。