しんとく問答 6

 後藤明生さんの「しんとく問答」に収録されている小説「マーラーの夜」には住まい
について、次のようにあります。
「聖マリア大聖堂の鐘で、平日は正午と夕方六時に鳴らされた。日曜日にはそれに午前
十時の鐘が加わった。教会は私のマンションから百メートルくらいのところにあった。
私の住居は七階建てマンションの六階の2LDKで、七階には家主一族が住んでいた。
また一階は彼ら一族が経営する会社の事務所だった。そしてある日、気がついてみると、
付近一帯がほとんど似たような建物だった。違いは一階が帽子の問屋だったり、パン屋
だったり、喫茶店だったり、衣料品問屋だったり、というくらいだった。
問屋とマンションという組み合せ、そして最上階に家主一族が住むというのが付近一帯
に共通のスタイルらしかった。」
 昨日の引用したところにありました「公園の金網の隙間を抜けて一分くらい」という
ところと、この大聖堂から百メートルというのを地図で重ね合わせてみたら、相当に
範囲がせまくなりそうであります。
 別なところには、次のようにもあります。
「 この四階建てアパートは、宇野浩二文学碑とはまったく無関係です。ただ、私の
マンションの真裏すなわち北側に、そして難波宮跡公園の東隣に並んでおります。」
これは府営寺山住宅のことのようです。
 これらを手がかりにマップとストリートビューでしらべて見ましたら、帽子の問屋と
いうのはすぐに見つかったのですが、七階建てのマンションを特定するにはいたらずで
ありました。
 もともと、後藤明生さんは大学に通う近鉄の始発駅近くで住まいを探そうとしたようで
あります。
「いろいろ考えた末、私は大阪に住むことにしました。家内や娘は必要に応じてやって
来る。もちろん滞在することも出来る。そういうマンション探しをはじめました。
その第一候補地が天王寺界隈でした。大学は近鉄大阪線です。上六はその始発駅です。
したがって上六まで歩いて行ける天王寺界隈に住めれば、というのが私の希望でした。
実際には、JR天王寺駅も地下鉄天王寺駅も、上六からそう近い距離とはいえません。
しかし当時の私はなんとなく、自分勝手に天王寺界隈と上六を結びつけていたようです。」
 神田駅と神田神保町がそうとうに離れているのに近い話でありますね。
「市販されている住宅情報誌みたいなもので、ずいぶん研究しました。そしてずいぶん
歩きまわりました。上六の近鉄駅から上七、上八、上九のあたり、天王寺病院のあたり、
天王寺区役所、天王寺警察のあたりはずいぶん歩きました。・・・
 ここにすめたらなあと、思ったものが二つ程ありましたが、残念無念、予算オーバー
した。しかしお陰で上六から天王寺界隈にかけては、かなり詳しくなりました。それに
何よりの幸運は、そうやって歩きまわっているうちに、偶然のような形で四天王寺にめぐ
りあったことです。」
 マンション探しをしていて四天王寺のまわりをぐるぐると歩いたとあります。
俊徳丸は舞楽の修行のためにはるばると四天王寺に通い、後藤さんはマンション探しの
ために四天王寺に通ったことになります。
四天王寺のすぐ向かい側は『夕陽丘町』です。・・・もちろんちゃんとした町名です。
また上八かあたりから四天王寺界隈にかけて『夕陽丘』のつくマンションも多いようで
す。私がマンションを探し歩いていた頃、ここに入れたらなあと思いながら諦めた
マンションの一つも、確か上だか下だかに『夕陽丘』がついていました。」
 後藤さんの住まいとしては、こちらのほうがぴったりのようですが、予算がオーバー
ということは、当時どのくらいの家賃であったのでありましょう。