吉野葛 5

 過去の作品に題材をいただいて作品を仕立てるというのは、昔からある手法であり
ますね。ヨーロッパでありましたら、ギリシア神話とかギリシャ悲劇などから触発され
た作品は枚挙にいとまなしのはずであります。
 日本でもそうなのでしょう。短歌の世界では本歌とりというようですが、こういうの
が効果を得るためには、元の短歌が良く知られていることが前提となりますね。
日本の芝居でもそうしたものはありでしょう。歌舞伎とか、最近のTVドラマなどでも、
過去の作品の枠組みを借りて、別な作品としているものがありました。
 このところ、話題にしている作品 谷崎潤一郎吉野葛」に読み解くことで、花田
清輝さんは「吉野葛・注」という作品を書き、この両方にインスパイアされて、後藤
明生さんは「吉野大夫」を書く事ととなります。
 そういえば、この前に話題としていた後藤明生さんの「しんとく問答」については、
次の本で取り上げられていました。(本日片付けをしていましたら、この本がでてき
ました。)

語り物の宇宙 (1981年)

語り物の宇宙 (1981年)

「語り物の主人公(ヒーロー)たちはおおよそみんな英雄である。義経や曽我兄弟の
話からはじまっている以上、これは当然のことである。そしてまた、義経や曽我兄弟
がそうであるように、よるべない漂白の運命に身を委ねねばならぬ点でも、大方同じ
ことである。
 しかし、主人公とは呼べても英雄とはなかなかもって呼びがたい人物もいないわけで
はない。そして、これは大体、義母に憎まれる子供という役柄である。英雄でないだけ、
よるべなさ、あわれさはいよいよまさることにもなる。・・・
 その種の物語の主人公で誰よりも高名なのは、何といっても、「しんとく丸」(俊徳
丸、信徳丸、折口信夫に従えば身毒丸)だろう。その原因は、彼の並外れた長寿と変身
の多様性にある。一人の主人公が時代時代の物語や芸能の演目に、そのたびに姿を変え
て登場するのは、珍しくもないこと、というよりむしろ、近代以前の常識にとって自明
のことである。しかし登場するごとに注目を浴び、その時々の扮装を歴史の記憶に刻み
つけて行く人物は多いとはいえない。謡曲の『弱法師』、説教の『しんとく丸』、
浄瑠璃の『摂州合邦辻』と指を折っただけで、近松門左衛門三島由紀夫の『弱法師』
にふれるまでもなく、この登場人物がどの時代の舞台でも花形であったことはたちどころ
に納得されよう。」
 今は、講談社文芸文庫にはいっているものの、元版からの「しんとく丸」の冒頭の部分
を引用してみました。
 「吉野葛」については、「葛の葉」の母と子の別れが元にありと、昨日に引用した解説
にはありましたが、こうした元になる話は、当方にとってほとんどなじみのないもので
あります。
 川村二郎さんの「語り物の宇宙」で取り上げているのは、「甲賀三郎」「小栗判官
そして「しんとく丸」でありますが、どの作品もぴんとこないことです。
小栗判官」は、ちょっと前のことになりますが横浜のボートシアターが上演して
話題となりましたが、舞台中継をTVでみたように思うのですが、これの世界にはうまく
入り込むことができませんでした。
 その後、「小栗判官 照手姫」のコミックスが文庫化されたのを買って、はじめて
この作品が近しいものとなりました。
説経小栗判官 (ちくま文庫)

説経小栗判官 (ちくま文庫)