しんとく問答 4

 俊徳丸で検索をかけますと、ウィキペディアにそのものずばりのものがありました。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%8A%E5%BE%B3%E4%B8%B8
 俊徳丸伝説というのがいろいろな芸能に話題を提供し、それが異本のような形で
演じられているということがわかります。その作品によって、俊徳丸とか信徳丸と
いわれたり、身毒(しんとく)丸となったりします。
 こうした作品にまったく疎い当方は、このウィキペディア「俊徳丸」の項目が大変
参考になったことです。
俊徳道について、俊徳丸の目的地が四天王寺であるわけですから、終点ははっきりと
しているのですが、その起点はどこで、どのような経路になっているかを現在の各種
地図で調べていき、それを踏破するというのが、後藤明生さんの小説「俊徳道」であ
ります。
「やれやれ!お陰で机の上は大阪地図だらけです。
(1)ドライバー用の大型「区分市街道路図」 
    主要交差点名、ガソリンスタンド、阪神高速ランプ案内、府下全町名索引
    「これ一冊で府内自由自在」
(2)「ビジネスM」
    全区町名索引、市内官公庁・施設一覧
(3)「ポケット区分地図帳」
    府下24都市、地下鉄系統、ビジネス街
  の三冊を取っ替え引替えしながら、なんとか河内国高安の位置をお知らせしました
が、それでも肝心の『俊徳道』とはなにか。・・・」
 布施市史には、「俊徳丸が高安の里から舞楽修行のために天王寺へ通った」とあるの
ですが、謡曲「弱法師」に登場する俊徳さんは、四天王寺に通って修行するという話が
でてこないのだそうです。
 舞楽修行に通ったのは謡曲「弱法師」の俊徳丸ではなく、説教節「信徳丸」の主人公
である「信徳丸」のほうで、そうであれば、信徳道となるべきではないかと後藤明生
んはいっています。(その信徳さんであっても、四天王寺舞楽修行にいったとは、
記されていないのだそうです。)  
 道の名称はおいておくとして、俊徳道の後藤ルートの確定作業であります。