大浦みずきさん追悼

 本日になって、拙ブログに大浦みずきさんのキーワード検索からいらっしゃる
方がいまして、どうしたのかと思っておりましたら、その後のインターネットの
ニュースで、大浦みずさんが亡くなったということを知りました。
 当方は、大浦みずきさんの舞台を拝見したことはありません。宝塚を退団されて
からも、テレビドラマなどにでることはなく、ずっと好きな舞台でダンスを中心に
した活動をされていました。大柄でもありますし、雰囲気もテレビの枠にはおさまら
ない方だったようです。
 5年ほど前のことでしょうか(もっと前かもしれません)、大浦さんがNHK
バラエティ番組かに出演をして、ダンスについて語っているのを見ました。
ハット(帽子)を手にして、このハットをこのように持って、身体をこのようにして
動かすと、それがボブ・フォッシーのスタイルですといっていたのが印象に残って
います。「ボブ・フォッシー」というと「オールザットジャズ」でありますが、
大浦みずきさんは、ずっと好きな踊りをやっていくんだなと思いました。
 大浦みずきさんは、阪田寛夫さんの次女になります。本日の朝日新聞には、本名は
阪田なつめさんで、芸名は作家の庄野潤三さんが名付け親とありました。
 阪田寛夫さんには「おお宝塚!」 文春文庫 94年刊 という著作があります。
これの「あとがき」には、次のようにあります。
「 宝塚歌劇団にいた次女が無事退団して一息ついた去年の十二月、『別冊文藝春秋
の高橋一清氏から電話があって、宝塚と娘についての文章を集めた本をだしてはと
いわれた。・・・・今更とんでもないことですと私は尻込みしたが、いつもの通り
最後には説得されて、こうして本を出していただく運びになった。・・
 結局この本は、私がここまでお世話になってきた『宝塚』に捧げようと思う。
その中には、次女が長い間在籍して導きや支えを受けた数え尽くせぬほどの人々や
事柄が、厚く重なってくる。そのような、鮮やかな細部を持つ、一つの大きな流れに、
もしこの世で全く触れもせず、出会いもしなかったと考えてみれば、自分がどんなに
多く小さな湯の町に発したこの『文化』の恩に浴しているのかがよくわかった。」
 阪田寛夫さんが、最初に「宝塚」の舞台を見て、当時のスター「葦原邦子」さんに
魂を奪われたのは小学5年生の時であったといいますので、ずいぶんと年期の入った
ファンであったといえます。
 それだけに、娘さんが宝塚音楽学校への入学が決まったときはどんなに嬉しかった
ことでしょう。有名人の娘さんで宝塚に在籍している人はいるようですが、トップ
までのぼりつめたというのは、大浦みずきさんのほかにどのような人がいたでしょう
か。