みみずく先生 13

 篠田一士さんと由良君美さんの、抜き差しならない関係について「先生とわたし」に
は、次のように書いてあります。
「篠田側が由良君美の翻訳の誤訳を指摘し、由良君美が目立たぬ形で当て擦りのエッセイ
のなかに記すという形で、両者は敵対してきた。それが正面戦争となったのが、1974年
に篠田が編集し解説を担当した筑摩書房版『世界批評大系』第一巻が刊行されたときで
ある。おそらく由良君美は、阿部良雄川端香男里といった同僚が寄与を求められて
いたにもかかわらず、じぶんだけがこの大系の企画全体から完全に閉め出されてしまった
という事実に、強い焦燥感を抱いていたはずである。『朝日ジャーナル』9月20日号に、
長文の批判を執筆している。」
 当方は、篠田一士さんのひいきでありましたので、この「朝日ジャーナル」の批判文を
見て、これは困ったことと思ったのでした。切り抜いていまもとってあるのですが(いま
探してみましたら、この「朝日ジャーナル」の切り抜きは、篠田さんのスクラップブック
にはさみこんでありました。)、この由良さんによる文章は、「みみずく古本市」に収録
されています。
「みみずく古本市」で8ページとなる、この文章「批評理論の確立のために」を「先生と
わたし」で四方田さんは、わずか10行ほどにまとめてあります。批判のほとんどは文学
観の違いによるもので、どちらが正しいというような話ではないのではないかと思った
りしますが、まあ文学論争というのは、傍の人間にとってはけっこうどうでもいいことを
議論していたりしますね。
 つまるところ、由良さんがいいたかったのは、結語となっている次のことでしょうか。
「『大系』と称して、なんの方法的<システム>も堅持しないこの種の刊行物は、公共の
ものの私物化という、現時点の政治のありかたと、どこか似通っていないとすれば、それ
こそ幸甚と称すべきであろう。」
「公共のものの私物化」というのが、篠田さんのやりくちと断罪しているのですが、そう
かなと思いました。
 それに対する篠田さんの反論について、「先生とわたし」からの引用です。
「もちろん篠田もこの書評にだまってはいなかった。ただちに『朝日ジャーナル』の読者
投稿欄に反論を寄稿し、由良君美の批判がいかに不当ないいがかりであるかを抗議しつ
つ、重ねて作品への愛を強調した。この事件は後々まで、篠田の由良君美に対する憎悪の
原因となった。」
 篠田一士さんは由良さんを憎悪でありますから、この二人の本を読んでいた当方こそ、
知らぬが仏であります。