みみずく先生 14

「作品への愛」なんてことを正面切っていうのが篠田さんらしいことであります。
このような大雑把ないいかたは、批評家失格というのがみみずく先生の立場ですね。
批評理論からすればみみずく先生のいうとおりですが、どちらかというと本格的な
文学グルメである由良さんは、極上のものをすこし味わって食するタイプで、それ
とくらべると篠田さんは、ほとんどガルカンチュア的でありまして、少々まずく
とも、多くの食材を強靱な胃袋で消化していきます。
 当方はたくさんいただきたいほうでありますので、篠田さんのすすめるものの
ほうに食指がのびたというわけです。
篠田さんが「朝日ジャーナル」読者投稿欄に寄せた反論も、目を通したはずであり
ますが、これはどこかにあるはずと思うものの、すぐにはでてきません。
 86年7月22日の朝日新聞の切り抜きがありますが、「文学はどこへ」というもので、
記者の黛哲郎さんが篠田さんにインタビューをして、発言をまとめています。 
「裏方に徹すること。それによって批評の逆説生が輝き、文学としての批評が成立
する。そういうからくりを知らずに、ただ純朴にはやりの『ディスコンストラクショ
ン(脱構築)』の理論などに飛びつくのは、批評の逆説性を自分で壊してしまうこと
だ。ジャック・デリダなど老獪だから二重三重の仕掛けになっているのだが、受け
取る日本の若い諸君はどうも単純すぎる。 こう考える篠田氏は、吉本隆明氏を先頭
とする今日的な批評についても、言論ばかりで臨床批評がない、と断ずるのだ。」
「批評家は黒衣で、裏方に徹する。」ということは、「表にでるのは作品で、これを
評するときは、まずは作品を読み込んで、ほれることだ。」というような言い方が
できると思いますが、小説好きにとっては当たり前のことでありますね。
あまりあたりまえのことをいうと、批評家としてはありがたみにかけるのでありま
しょう。
 いまはともに、あの世でくらすお二人ですが、あいかわずで互いのことを意識し
つつ、無視しあっているのでしょうか。