角館という町 10

 角館の人 平福百穂画伯の業績をたどると秋田の知の共同体のようなものにいきつき
ます。
 近代の秋田を代表する人というのは、どうやら狩野亨吉さんではないかと思われてきま
した。秋田に限らず、日本を代表するといってもいいのかもしれません。
その「狩野亨吉」さんが忘れられていのだろうかですが、ご本人がほとんど著作を残さな
かったのでありますし、自ら隠者のような生活を選んだのですから、忘れられることを
望んでいたといえるのかもしれません。
 当方は、小林勇さんの「隠者の焔」などで狩野亨吉さんのことを知ったのですから、
ほとんど偉さがわかっているわけではないのですが、関心をもっていて、読みもしない
のに、中公文庫に入った「狩野亨吉の生涯」を購入したりしていました。

狩野亨吉の生涯 (中公文庫)

狩野亨吉の生涯 (中公文庫)

 この著作は、松岡正剛さんの千夜千冊の1229でとりあげられています。(以下のとこ
ろで読むことができます。 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1229.html )
 この作者 青江舜二郎さんは、内藤湖南についての著作を残していますが、湖南は
秋田の人で、狩野亨吉さんが京都帝大の学部長をしていた時に帝大に招かれたのでありま
すが、師範卒という学歴のために、なかなか正当な評価を受けることができなかったのを
狩野さんの大英断による人事でありました。この青江舜二郎さんも秋田の人であります。
 狩野亨吉さんについては、鈴木正さんが著作をだしていて、それが平凡社ライブラリー
にはいっているのに、まったく気がついておりませんでした。これはどうして購入せずで
あったのかまったく不思議であります。
増補 狩野亨吉の思想 (平凡社ライブラリー)

増補 狩野亨吉の思想 (平凡社ライブラリー)

 この鈴木正さんは、秋田の人ではなかったと思いますが、ちょっとかわったスタンスの
思想家で、それこそ師範学校のようなところをでて大学教授になったと記憶しています
が、ちょっと検索をしてみましたが、これが判然としませんでした。
 それにしても、いまは青空文庫で「狩野亨吉」さんの著作を目にすることができるので
ありますから、すごいことであります。
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person866.html
 最後に、中公文庫「狩野亨吉の生涯」巻末にある年譜 昭和十年のところに次のような
記載がありました。
 「日本美術院刊行、田口掬汀編『平福穂庵画集』に序文を寄せる。」
 狩野亨吉さんが、平福父の画集にどのような序文をよせたのでありましょう。
 平福穂庵とは、もちろん百穂画伯の父上でありまして、田口掬汀さんは「百穂業績
年譜」も編集していますが、同じく角館の人で、作家 高井有一さんのおじいさんであり
ました。