角館という町 3

 秋田県は角館(いまは仙北市というのだそうですが、これはなじむことができない
ことです。)で生まれた平福百穂さんを話題にしています。
 先日にTVで見た「新日本風土記」がきっかけでありますが、もともとは岩波文庫
はいった平福画伯の本を入手したからでありました。

日本洋画の曙光 (岩波文庫)

日本洋画の曙光 (岩波文庫)

 この文庫本にある「今橋理子」さんの解説「平福百穂と知の共同体」を引用しなが
ら、平福画伯の世界をさぐってみます。
日本画家 平福百穂(1877〜1933)について繙く時、彼が『自然主義』を唱えた
むせい会の結成に参画して、新しい日本画の創造運動を推進し、かつアララギ派
中心的な歌人であったことは記される。しかし、日本初の本格的な洋風画『秋田蘭画
を歴史的に初めて評価し、その足跡を体系的に世に知らせた功績については、一般に
はほとんど知られていない。」
 「日本洋画の曙光」は、「原著は昭和5(1930)年に岩波書店から、帙入り体裁の
高価な大判画集として、わずか三百部しか刊行されなかった。そうした少部数であった
ことも、これまで一般に知られることがなかった原因と考えられる。・・実は社内的
にもこのような美術本がかって刊行されていたことを知る人は、ほとんど居なかった
とのことだった。そういう意味においても、本書はまさに『忘れられていた名著』と
言えるだろう。」とあります。
 これの元版を日本の古本屋をみると何冊かでていますが、それなりの値段で販売さ
れていました。もちろん、当方が簡単に買えるような値段ではありません。
 この文庫解説のタイトルは「知の共同体」とありますが、平福画伯のネットワーク
がすごいのです。それは角館と秋田、画家のつながり、そしてアララギ派と大きな
くくりだけでも、このようにあります。
 解説で、今橋さんは次のように書いています。
平福百穂が短歌雑誌『アララギ』の創刊当時からの重要なメンバーの一人であり、
歌人としても大いにその才能を発揮したことはよく知られている。・・
 百穂は昭和八(1933)年、脳溢血により五十七歳という若さで故郷にて急死する。
その死は同じ病で没した実兄の死から、わずか六日後のことであり、あまり悲劇的な
偶然に、周囲の嘆きと悲しみは、底知れぬものであった。百穂が逝去して半年後、
土屋文明が編集責任となり刊行された特集号『アララギ 平福百穂追悼号』昭和9年
には、『アララギ』同人ほか有名画壇関係者やジャーナリスト、さらに百穂の親族
等々合わせ、合計一〇九人もの人々が弔文を寄せている。とくにそのなかでも、茂吉
と憲吉の追悼文は群を抜いて長文であり、その内容も公私にわたり深めた友情の軌跡
を読み取ることができ、興味深い。」
 この「アララギ 平福百穂追悼号」が亡父の書架にありました。元版ではなくて、
復刻されたもののようですが、これは参考になることです。