角館という町 5

 昨日は「アララギ 平福百穂追悼号」昭和9年刊の表紙写真を掲げましたが、これは
復刻されたものでオリジナルではありません。いつころ復刻されたのかわかっていませ
んが、元版よりもずっときれいで読みやすくなっています。「アララギ」という横書き
の誌名ほかの文字が、右から左にむかって記されています。むかしはそうでありました
ですね。
 この時代の「アララギ」は、編集兼発行者が土屋文明先生で、先生の自宅 東京市
赤坂区青山南町六丁目二十一番地が発行所の所在地となっていました。
そうして、発売所はといえば東京市神田区南神保町十六番地岩波書店となっていました。
 もともと岩波書店主 岩波茂雄と「アララギ」の有力同人とは関係が深く、斎藤茂吉
島木赤彦、中村憲吉などの個人全集は版元が岩波でありました。
 今橋理子さんの解説には、次のようにあります。
「『日本洋画の曙光』の発行元が岩波書店になった理由は、アララギ派歌人として関係の
深かった、岩波茂雄との交流に拠るものである。1927年の創刊以来変わらない『岩波文
庫』の装丁デザイン(特に裏表紙中央に配された『岩波』壺形マーク)が、平福百穂
手になることを知る読者は、現在ではほとんどいないだろう。」
 古書に関心のある方々であれば、岩波文庫の装丁に平福百穂さんが関わっているという
のは、けっこう知られていると思われますし、「創刊以来変わらない装丁デザイン」と
いわれると、デザインは変わらないが、印象は変わっているけどとつっこみをいれたく
なります。
 平福画伯が装丁デザインしたのは、かっての岩波文庫の版型のものでありまして、
それは今よりも縦長のものでした。新旧2つの岩波文庫をながめてみますと、「壺形」
マークも微妙に縮小されています。それ以上に違うのは、壺のなかにはいっている
「岩波」の文字で、旧サイズのものでは、右から左に文字が流れています。
岩波文庫の装丁とかサイズについては、岩波文庫の記念目録になんか書いてあった
ように思うのですが、これは確認できておりません。)
 平福画伯は、アララギ同人の歌集の装画などを担当していますが、土屋文明先生の
最初の歌集「ふゆくさ」も平福画伯によるものです。「ふゆくさ」のあとがきには、
次のようにあります。
「 出版については島木・平福両氏から非常な配慮を蒙った。平福画伯は多忙中にも
かかわらず装幀口絵をお描きくださることになっている。・・自分は本の体裁など余り
拘泥すべきものではないと思って居たこともある。併し自分のものを作るとなると決し
てそうでない。」
 ちなみに土屋文明先生の「ふゆくさ」に寄せた平福画伯の装画は、以下のものです。