小沢信男著作 218

「裸の大将一代記」を読むに、小沢信男さんが姿を見せるところをつまみ食いのように
していくというのは、邪道ではありますが、こういうのもありでしょう。
 もちろん、この本は山下清さんの評伝でありますから、母親をはじめとする家族、貼り
絵の才能が開花した八幡学園の関係者、放浪中に出会った人々、式場輶三郎、全国で山下
清展の開催を行う人、山下清を演じた人々への幅広い言及があります。
 たとえば、桑原武夫賞の選評にありました河合隼雄さんのように、臨床心理士の役割と
八幡学園の役割に注目して読むという読み方もあるでしょう。梅原猛さんは、脇役として
登場する時代の文化人たちに着目しています。
 ということで、この作品は、それぞれの読み手の関心にあわせてスポットライトをあて
て読むことが可能であります。
 この本のあとがきからの引用です。
「 山下清その人に、私は出会ったことがない。その残念さが、しだいに幸運におもえて
きた。この人はよほど強烈な印象を出会う人ごとに与えたらしく、対談・インタビュー・
回想等々の諸文献に目を通すほどに、どれもが多かれ少なかれ生な印象に束縛されてい
る。
かんじんの山下清の作品さえも、その印象の色眼鏡でしか見たり見なかったりしている。
どうもそうもおもえる。その点こっちは無地がさいわい、まず作品自体をすなおに見よ
う、読みこもう。かたわら諸文献を、矛盾も衝突もそのままに証言としてゆくならば、
おのずから山下清を浮かびあがらす多面鏡となるだろう。時代の空気もいくらかよみがえ
るではないか。こうして着手から二年半をへて、この『あとがき』にたどりついた。・・
 縦横無尽に鋏と糊を活用して、おかげさまで山下清の全貌が、ようやくあきらかになっ
てまいりました。と申しあげるのが、恩返しであろうとかんがえる。」
 あとがきでで、「山下清の全貌が、ようやくあきらかに」といっているのですから、
これは相当に自信があったものと思われますが、この本がでた時には、当方も含めて、
どこまで、それがわかっていたでしょうか。