小沢信男著作 191

警察に呼ばれた数かぞえきれない坂本篤さんにとって、一番有名な事件は1961年に
発生しました。
 小沢さんの文章には次のようにあります。
「戦後、有光書房をおこして、いよいよ江戸の春画や好色本の発掘と刊行に専念します。
1960(昭和35)年より「艶本研究叢書」全13巻の刊行開始。その第1巻の林美一
「国貞」の特製本600部が、翌61年にわいせつ文書として摘発されました。」
 戦後におけるわいせつ文書事件として有名なのは、翻訳の伊藤整が有罪となった
チャタレイ裁判と雑誌「面白半分」に「四畳半襖の下張」を掲載した野坂昭如が有罪と
なった事件があります。このどちらの裁判も、著名な文学者たちが被告側の弁護人と
なり、その裁判での発言は、まとめられ刊行されています。
 ちょうど、この二つの著名な裁判の間に、有光書房のわいせつ文書裁判はあって、
これもやはり最高裁まで上告を重ねたのですが、訴えは棄却され、一審判決で確定した
とのことです。
「江戸時代に流布した図書を、研究保存用に小部数限定配布して、やっぱりわいせつ。
前後13年もかけて、こんな結論になる裁判があったことを、私はまったく知らなかっ
た。」
 この裁判の弁護側の証人には、亀山巌さんもいらしたとのことです。
 さいきんのわいせつ図画の摘発基準はどうなっているのでしょう。いまから50年前に
わいせつとされたものは、いつのまにか市民権を得て、いまでは新書版でも販売されて
います。もともと江戸時代に流通していた「わじるし」を、わいせつとして取り締まる
ところに無理があるように思います。
 みすず書房が刊行した「写真家マン・レイ」のときは、きびしい事前検閲があって、
これも話題になりましたが、昨今の状況を思うに、あれはなんであったのかです。