小沢信男著作 190

 小沢信男さんの「坂本篤」さんについての文章に、つぎのくだりがありました。
「 明治以降、筆禍で罰金や入獄をくりかえした横綱宮武外骨で、梅原北明大関
とか聞くけれど。坂本篤も、警察に呼ばれた数は「数えきれない」と当人の弁です。」
 坂本篤さんについては、亀山巌さんとのつながりのなかで関心をもたれた小沢さんで
ありますが、このように宮武外骨さんに続けて名前をみますと、外骨つながりのように
も思われます。
 小沢さんの仕事の柱の一つに稗史ものがあるのですが、これは若い頃に明治期の新聞
等を調べたことがベースになっています。(筑摩書房からでた明治百年にあわせてでた
シリーズ「日本の百年」の資料集めです。)
 外骨つながりについては、南陀楼綾繁さんが、次のように書いていました。(週刊・
ナンダロウアヤシゲな日常 に収録)
「 小さな出版社で編集の仕事をはじめたばかりのぼくは、・・宮武外骨が編集・発行
した雑誌を全部復刻するという大胆な企画が思いがけず実現して、各巻の解説をいろいろ
な書き手に頼んで回っているトコロだった。・・河出書房新社から出た『宮武外骨著作
集』のある巻に小沢さんが解説を寄せているのを読み、『このヒトに書いてほしい!』
と思った。そして、いきなり手紙を書いたのだ。」
 これが南陀楼さんと小沢さんの初対面につながるのだそうですが、つないでいるのは、
外骨であります。
 東京外骨語大学のメンバー(学長は山口昌男さん)であります坪内祐三さんは、
小沢さんの「東京骨灰紀行」への評(PR誌「ちくま」に掲載のもの、いまはちくまの
ホームページで読むことができます。)で、次のように書いています。
「 小沢さんの話を聞きながら、私の体に、東京の歴史(の重層性)が染み込んできた。
それから年に一度、染井霊園で宮武外骨を偲ぶ外骨忌に小沢さんにお目にかかるのも
楽しみだ。」
 小沢さんには、外骨につながる大きな流れがあるのでした。小沢さんの外骨についての
文章は単行本に未収録であるようで、これは残念なことです。