小沢信男著作  35

 小沢信男さんの著書を紹介していますが、本日は「山猫忌」でありますので、
これの話題をです。拙ブログをご覧いただいている方には、「山猫忌」というのが、
このブログのなかに存在するものであるということは、おわかりいただているかと
思いますが、本日は1987年4月19日に亡くなった長谷川四郎さんを追悼する日であり
ます。
 「山猫忌」を行っているのは「ぼくの伯父さんの会」でありまして、これの代表は
小沢信男さんと、当方は勝手に思っているのでした。
 これに関しては、小沢さんの「あなたはどうやって食ってきましたか」のなかに、
次のようなくだりがあります。
「『人は生きていたように死んでいる』っていうけど、没後に、なになにの会って
いうのができるでしょう。野間宏の会、中野重治の会。これは、生前から子分を
作っていた人たちですよ。花田清輝の会、長谷川四郎の会なんか、ないでしょ。
もうはっきりしているんですよ。それは。
 菅原克己の『げんげ忌』は濃密な集まりで、親分、子分とはまた違うんだけど。
ほんとに、人は生きていたときのように死んでいると思います。」
 この話は、野間宏から選者の仕事をまわしてもらったあとに、「おれの子分になれ」
というようなぶつぶつと遠まわしにいわれたに続いています。もちろん、小沢さんは、
次の年には選者を降りたとのことです。
 小沢信男さんは、このようなこともあって、自らが代表となって長谷川四郎の会を
立ち上げるようなことはありませんでした。そのかわり、長谷川四郎さんの仕事が
後世に残っていくような作業を続けているのでした。
 古いスクラップに長谷川四郎さんの葬儀の様子を伝える新聞記事が貼られています
ので、はりつけてみましょう。長谷川四郎さんの出身地である北海道新聞に掲載
されたものです。

「詩集を手に最後の別れ」とありますが、この時に配られたのは、土曜美術社からで
た「日本現代詩文庫 長谷川四郎詩集」でありました。
「 ギターをとって
  弦をはれ
  兵隊の歌をうたおう
  ハヨホイハヨホイハヨホイホイ」
 この新聞記事の写真にある出棺時には、桐朋短大演劇科の卒業生(?)たちが、
上に引用した「兵隊の歌」を歌われたと記憶しています。長谷川四郎さんの詩に
曲をつけたものは、レコード化されて、そのなかにも、「兵隊の歌」は収録されて
います。