本日は山猫忌

 本日は 1987(昭和62)年4月19日に亡くなった長谷川四郎さんの祥月命日でありま
す。当方は、この日を「山猫忌」と名付けて、思いにふけるようにしています。
亡くなって30年ともなれば、その謦咳に接していた人たちも、どんどんと姿を消して
いくことになりです。
 当方は生前に元気な姿をお見かけしたのは、長谷川四郎全集が刊行されたのにあわ
せ、札幌で開催されたサイン会の会場でのことでした。この時のことは、以前に記し
たことがありましたが、それからまもなく病気に倒れてしまいましたので、当方は
このあと元気な姿を見ることができずでした。
 昨年に山猫忌を話題にしてから、なにか長谷川四郎さんに関して新しい資料などは
登場しただろうかと思いながら、本日をむかえました。
 最近に手にした本で、長谷川四郎さんに言及している本といえば、次のものがあり
ました。

 これに収録されています「将軍池と加藤山」(初出は「東京の池」)という文章を
読みますと、小沢信男さんにとって「将軍池」というのは、長谷川四郎さんを思い起
こさせるものであるということがわかります。「将軍池」というのはなんだろうと
思いましたら、ぜひとも「ぼくの東京全集」をのぞいてみてください。
 この文庫本の「句集 東京百景」には「将軍池」として、次の句があります。
  小紋散らし池を濡らすや春の雨
 この句は、これまで発表された小沢信男さん全句集「んの字」には収録されていない
ように思われますので、ひょっとしますと新しい作品でしょうか。
そう思って、「将軍池と加藤山」を見てみましたら、これの最期のくだりに次のように
ありました。
「先輩長谷川四郎は、ここで死んだ。享年七十七、それきりご無沙汰している。
 あの池畔に、また立つことがあるだろうか。」
この文章が本となったのは、1989年のことで長谷川四郎さんが亡くなった二年後。
小紋散らし池を濡らすや春の雨」は、いつできたものかわかりませんが、将軍池を
再訪したことが機にできたもので、それこそ長谷川四郎さんの命日近くに将軍池を
訪ねて作ったと思えなくもなしです。
 そういえば、小沢さんの全句集「んの字」には、「長谷川四郎ついに逝く」として
次の句がありです。
  おおぞらのどこかくずれて黄沙ふる