あいさつ指南書 3

 昨日は丸谷才一さんの旧制高校での担任となる植村清二さんにかかわるところを紹介
しました。丸谷才一さんが旧制一高とか二高でないのは、ちょっと意外な感じがいたし
ますが、それなりに理由があるのでしょう。旧制中学から旧制高校へと進学する時には
受験があるのですが、旧制高校の文科のなかには受験科目のうんと少ないところが
あって、将来は文学部へいく、余分な勉強をするよりも本を読んでいたいといって、
理系科目を捨てたような人でも、受け入れられる高校があったとのことです。
 図抜けた秀才であれば旧制一高とかを受けるのでしょうが、丸谷さんにも不得手な
科目があって、それでナンバースクールを避けたのでしょうか。
自宅から一番近くにある旧制高校であったというくらいの話しでしかないのかもしれ
ません。
 野坂昭如さんと丸谷さんのどこに接点があるのかと思いますが、これも旧制高校
出会いであります。野坂さんの結婚式の媒酌人としてあいさつが、この指南書シリーズの
冒頭におかれるものです。62年12月ですから、野坂さんはまだ週刊誌のライター時代で
あります。
 野坂さんについての「あいさつの前にある前書き」からの引用です。
野坂昭如さんは旧制新潟高校の後輩なので知り合いになった。もちろんこちらが先輩。
同じ旧制高校でわたしの一級下だった山本森康さんの家に居候していて、引っ越しのとき
に手伝ってくれたのが最初だった。彼はそのころお父さんから勘当されて、山本さんの
家にころがりこんでいたのである。
 わたしは野坂さんとつきあうとすぐ、この男は将来きっと、何かしでかすにちがいな
い、大変な才能の持主だと思った。だいたい、人を見る目のないたちなのに、すくなく
ともあのとき一度だけは見事な眼力だったわけである。・・・・
 わたしが媒酌人として挨拶をしたすぐあと、当時文藝春秋の社長だった池島信平さん
が祝辞を述べたのだが、・・・」
 丸谷さんと野坂は5歳違いますので、高校で一緒であったわけではないと思われます。
 それにしても、この時の付き合いがずーっと何十年にもわたって続くのであります
からして、すごいものです。
 62年の野坂の婚礼の時は、丸谷さんは「エホバの顔を避けて」を発表したくらいで、
まだまだ小説も書く大学教員でしたし、野坂さんは、チンピラライターでありました
ので、この結婚祝賀会に、天下の文春社長が出席するのは異例のことですが、池島
さんは、旧制新潟高校の出身で、世間体を気にする身内のために、いろいろと図って
池島さんに出席したものなのでしょう。
 それにしても、よくぞ野坂昭如さんは、皆の期待に応える存在となったことで、
それだけでも、丸谷さんの野坂さんの結婚式における媒酌人のあいさつは、保存に
値するものです。