あいさつ指南書 4

 丸谷才一さんの「あいさつ指南」の本から、旧制新潟高校に関係する人へのあいさつを
とりだしています。丸谷さんに近しい存在の文学関係者で旧制新潟高校といえば、
百目鬼 恭三郎(どうめき きょうざぶろう、1926年2月8日 - 1991年3月31日)さんの
ことが、思い浮かびます。百目鬼さんは、亡くなって20年となるせいもあり、最近では
あまり名前を聞くことがなくなっているようです。朝日新聞の文芸記者として、
たいへんな辛口の評を展開していました。昔はいまほど署名記事はなかったように思い
ますが、厳しい文章で、匿名であっても、すぐに百目鬼さんの文章とわかりました。
「現代作家の101人」新潮社(1976年)にまとめられたのは、朝日新聞に連載された
「作家Who's Who」と思いますが、当方のスクラップ帖にはられている「長谷川四郎
さんについて欄への署名は「子不語」となっていました。
 百目鬼さんは、筆者がばればれではあったのですが、「風」という匿名での書評を
行っていて、それをまとめたものの書名は「風の書評」でありました。(後年になって
「狐」という匿名で書評を記していた山村修さんのほうが「匿名性」は徹底していた
ように思いますが。)
 丸谷さんが百目鬼さんにあいさつを送っているのは、91年4月2日の百目鬼さんの告別
式においてです。長年の交流と友情にからできあがった弔辞は、百目鬼さんの人となりを
後世に伝えるものとなっています。(とくに、「挨拶はたいへんだ」にまとめられること
によって。)
百目鬼恭三郎には三つの局面がありました。ジャーナリスト、批評家、そして文人
あります。
 第一のジャーナリスト。これは外界に対する好奇心、同時代への関心が人並みはずれて
強いあなたに打ってつけのもので、この人が朝日新聞の記者になったのは、本当に
良かったと私は何度も思いました。学芸部記者として書いた記事は、ものの見方の鋭い
角度、新鮮な情報性、それを支える安定した教養のせいで、しばしば日本文化全体への
一代痛棒となるものでした。・・・・
 第二の批評家は、これはジャーナリストであることと重なりあうものですが、とりわ
け、文化文学をあつかったときがすばらしかった。あるいは歯に衣きせぬ直言によって
『風の恭三郎』と恐れられ、あるいは博識を縦横に駆使して著述家たちをふるえあがら
せた。・・
 しかし第三に、あなたは何よりも文人でした。あの特異な読書案内『読書人読むべし』
は厖大な読書量によって人々を驚かせたのですが、しかしその読書三昧の底にあるもの
は、清雅な世界に遊ぶ文人気質の男の悠々たる境地だったし、そこで養われた伝統的な
感覚、古典主義があるからこそ、あなたのジャーナリズム、あなたの批評は、あれだけの
切れ味を発揮することができたのである。」
 たしか、百目鬼さんは敵の多い人であったと思います。なかなか難しい人物であるよう
にも思えるのです。さすがに、丸谷さんも告別式では、百目鬼さんのマイナスなところに
ついては言及できませんですから、これを本の収録するときに、弔辞の前書きにあたる
ところでは、次のように記していました。
百目鬼恭三郎さんの毒舌は有名だった。そのなかにはわたしの目から見て不当なものも
あったし、あるいはすくなくとも、もっと詳しく説明すれば納得いくのになあと惜しまれ
るものもあった。しかしここで大事なのは、彼が他人に対してだけではなく、自分に対し
てもじつにきびしかったことである。」