あいさつ指南書 2

 昨日に丸谷才一さんの新刊「あいさつは一仕事」を話題にしてから、過去に刊行のもの
を取り出してきました。当方は整理が悪いので、苦戦するだろうと思っていましたら、
わりと簡単に有り場所がわかりました。
 一冊目の「挨拶はむづかしい」85年刊 の帯には、次のようにありました。
「<冠婚葬祭>必携・挨拶の見本帖
 もしあなたが媒酌人になったら パーティで不意に指名されたら
 結婚披露宴・葬式・受賞式・謝恩会・・・
 スピーチ百般の心得を指南する本 」  
 25年前のものですが、このなかで一番可能性がなくなったのは、媒酌人のあいさつで
ありますね。他の機会というのは、85年から、今にいたるまでそんなにかわっていない
ように思いますが、媒酌人というのは、ほとんど死語にちかくなっているようです。
 この一冊目にある挨拶で、丸谷才一さんが野坂昭如夫婦の媒酌人をしたということが
わかります。丸谷さんと野坂さんが、旧制新潟高校の先輩後輩であったことによるもの
です。丸谷さんは、このあと結婚式の祝辞は多くなさっていますが、媒酌人をつとめた
のは、この野坂夫婦と、大沢正佳夫妻の二例だけだそうです。(ちなみにジョイス学者の
大沢正佳さんの場合は、74年6月16日のブルームの日に婚礼をあげています。
もちろん、その縁で丸谷才一さんが媒酌人となっています。)
 旧制新潟高校ということになりますと、三年間丸谷さんの担任であった植村清二先生
が、一冊目から三冊目まですべてに登場します。最初は喜寿の会にあわせて、二冊目は
告別式で、三冊目は評伝が出版された時のものです。
 植村鞆音さんというのは、植村清二先生のご子息とあります。
「旧制の新潟高校直木三十五の弟である植村清二先生に教えていただいたせいで、植村
鞆音さんとお近づきになりました。その方の最初の御本である直木伝を拝見して、じつに
おもしろく・・・」( 植木鞆音著「直木三十五伝」出版記念会でのあいさつ )
この鞆音さんは、父親についての評伝を書くのですが、それの出版記念会でのあいさつで
丸谷さんは、つぎのようにいっています。
「 鞆音さんの書きぶりがたいへん抑制のきいた、品格の高いものでありまして、読んで
いてまことに気持ちがいい。こんなことを言うと差し障りがあるかもしれませんが、
わたしは娘が父親のことを書いた本が嫌いでありまして、何か情緒過多でありきれない。
その点、この本はじつにうまく行っていて、いわば模範的な出来になっていて、植村清二
という偉大な知識人、魅力的な人物が実物大で迫ってくるような趣があります。本当に
懐かしい。」( 原文は、旧かな )
 さりげなく書いているのですが、「娘が父親のことを書いた本が嫌い」というのは、
誰についてのものでしょう。これを読みますと、一人はすぐに思いあたるのですが、
そのほかにはだれのことが思い当たりますでしょうか。