文学全集と人事 11

 かっては出版社にとって文学全集というのは、ドル箱でありましたので、そこに
どのくらいのスペースを確保するのかというのは、作家にとっては収入に直結する
問題でありました。それと、業界における格付けの両面においてです。
最近は、本格的な文学全集というのは、机上で企画されることはあっても、現実に
日の目をみることはなくなっています。本格的な文学全集の衰退のことを思うと
百貨店の店舗のつくりのことが思いおこされました。日本の百貨店は屋上には遊戯
施設があって、食堂があって衣服から食品まで生活にかかわるなんでもがそろって
いましたが、文学全集でも一番大規模であった筑摩書房のものなどは、すこし大衆
文学系から政治評論まで、間口を広くしています。
 百貨店に売り場を確保している洋服やさんには、競合関係にある両方に出店する
のではなく、どちらか一方だけにでるという配慮があったりしますし、百貨店から
提示された場所が気に入らなくて出店をとりやめるなんてこともあるでしょう。
リアルな文学全集にも、このようなやりとりがあるのでしょう。
 人事というよりも政治ということになりますと文学者であった宮本顕治さんの
批評を収録しようとすると、当然のことながらご本人の承諾がいたのでしょうが、
この場合は、その出版社との関係が問われることになったのでしょう。宮本百合子
さんの作品の場合も同様であったと思われます。(かっての学芸書林からでた、
現代文学の発見」の場合は、日本共産党系の文学団体所属の文学者の作品は収録
できなかったと聞いたことがあります。)
 このような政治の話というのは、なかなか難しい問題をはらみますが、自分は
あの作家よりも格が上であるという思いに基づく要求というほうが、人間くさくて
微笑ましいのかもしれません。(当事者となる編集者は、たいへんでありますが。)
 「新文學入門」(工作舎)に収録の「新・文学全集を立ちあげる」の岡崎武志
さんの発言には、次のような例が紹介されています。
「 この手の面白い話はいっぱいあって、例えば舟橋聖一は、ある文学全集の企画
が立ち上がって、自分が別の作家と二人で一巻と聞かされ、どうしても自分一人で
一巻とダダをこねて、結局、降りてしまった。井伏鱒二でさえ、組み合わせに難色
を示して、親しい編集者を脅して脂汗を流させたという話がある。
 中央公論社の『日本の文学』(全80巻 64年〜71年)には、松本清張が入る
予定で、社としても売り上げから言えば入れたかったが、編集委員が難色を示し
て、というか冷たく拒絶して、松本清張が深く傷ついたとか。」
 最近は、「舟橋聖一」なんて読まれているのでしょうね。舟橋さんは、老舗の
呉服屋さんのご主人のような雰囲気の人であって、プライド高く、百貨店のいい
場所に売り場を確保していても不思議でないのですが、芥川賞はもらっていても、
大衆小説作家で有名になった松本清張は、老舗の仲間とするにはふさわしくない
ということでしょう。
 このへんのところが、文壇の人事というものでしょうか。そうした人事というの
が適切であったのかどうかは、会社の人事と同じでいろいろと情実が入ったり
するものでありますでしょう。