ノアの本 8

 編集工房ノアの本について記しているのですが、ここのところは、すっかり
餅搗きの話題となっています。大槻鉄男さんが「樹木幻想」の「餅搗き」と
いう文章にある「餅搗き、餅搗きと騒ぎ立てれば、来年四十三歳になる石田
や山田などは、幼児の郷愁をそそられるのに違いない。」というのに、当方も
反応したものであります。
 餅搗きというのは、なんとなくおめでたいイベントであります。最近の
お笑いのチームでも餅搗きスタイルの二人組がいましたが、餅搗きはなんと
なく紅白幕が似合うように思います。
 昨日の大槻さんの文章には、12月27日に米をうるかして、28日に5臼つく
準備完了したとありましたが、一家族で一臼ずつ行き渡るような計算でしょうか。
この「餅搗き」という文章は、72年1月に発表されたものですから、この時代の
京都で、5家族が集まって年末に餅を搗くというのは、ずいぶんと珍しいこと
になっていたはずです。
 当方が小学生のころに、住んでいた長屋では、年末に協力して餅搗きを行い
ました。60年頃のことですが、6家族分くらいを時間かけて行うのですが、
むかしは一軒で最低3臼くらいは餅をつきましたので(家族数が多かったのと、
保存食として多い目に確保しましたから。)、全部では20臼もつくということに
なり、まだ暗い時間から餅搗きは始まりました。次々と米を蒸して、手際よく
搗いていきませんと、夜になっても終らないことになってしまいます。
 朝に起きたら搗いている気配が感じられて、着替えをするやいなや、餅搗き
の会場へと走っていったことを思いだします。「幼児の郷愁」ではありません
が、いまでも歳末になりますと餅をつくりたくなりますのは、このような体験が
あったからに違いありません。
 大槻さんのほうは、素人ばかりでうまく餅ができたのでしょうか。
それについては、林ヒロシさんが「臘梅の記」に記載がありました。
( 林さんの報告は、71年12月の時のものではないようです。)
「 快晴の餅つきの当日。
  午前、先生は木臼、杵を風呂場に運び込んで下着のまま浴槽につかり、洗剤
 液をつけタワシでごしごし磨いた。・・
  午後になって、仏和辞典を共につくっている西川長夫さん、山田稔さんが
 家族でやって来た。先生の妹さんの伊勢信子さん一家も来ている。喜多川恒男
 さんは子を連れ、石田和巳さんは二人の姪と参加した。佐々木康之さんが遅れ
 て来る。それに学生もいた。
  大騒ぎして何時間もかかって八臼ついた。こどもたちは交代してつき、喜ん
 でいる。・・・
  次の朝、近くの農家に行っている大槻先生から『本格的な餅つきを見に来ま
 せんか』と電話があった。・・
  先生が『一人で簡単につきますよ』と言ったがその通りで、広い土間で農家
 の主人が太い杵を五、六回振り下ろすとそれで餅はつけてしまうのだ。昨日の
 餅つき大会は大騒ぎの割に効率が悪く、一臼つくのに何人もの男がいれかわって
 やたら時間がかかって水っぽい餅になってしまった。」
  餅を搗くというのは、実は大変奥の深いものであります。