ノアの本 9

 文学者たちが家族連れで集まって、歳末に餅をつくというのは、いかにも「編集
工房ノア」の本にふさわしい風景であります。72年ころの、この大槻家での餅搗き
はいつころまで続いたのでありましょう。大槻さんにはどうやら子供さんはいらっ
しゃらないようでありますが、亡くなったのは79年のことですから、この前年暮れ
までは、集まってわいわいがやがやとしていたのでしょうか。できれば、そうで
あってほしいとおもうのですが、どちらのおたくも、この期間に子供たちは成長し
て、ほとんど餅搗きに興味をしめさないようになってしまいますからね。
 昨日にも記しましたが、この30年くらいで一人が食べる餅の量はずいぶんと
減っていて、それにあわせるように、自宅で餅を搗くことがなくなったように
思います。電気もちつき機というのが発売されたのも、この時代のことですが、
家庭でつきたての餅をいただきたいが、人手も場所もないという家庭に、この
機械は歓迎されたと思います。
 餅を食べなくなったというのと、パンを食べるようになったということには
関係があるのでしょう。当方の自宅で年末年始に餅を保存食として用意した
背景には、インスタントラーメンもハンバーガーもまだ普及していないという
ことがありました。小麦ではなく、米がぜったいに主食の中心でありました。
 米から小麦へというのが、戦後の日本の変化で一番大きいものであるかも
しれません。最悪なことに、米の自給を捨てて、小麦を主食とし、それを輸入
するように要求されるのでありますから、なんとも理解できないことであります。
 当然のことのように和菓子は衰退し、洋菓子の天下となったのであります。
いまや、和菓子といえばお茶席でつかわれるものを中心として細々と残り、
庶民が食べるおだんごとかおまんじゅうを店で作って販売するところは、軒なみ
廃業に追い込まれています。お団子をつくっても百円ほどしかしませんが、
洋菓子であれば、一個で5百円のものも珍しくありません。菓子職人さんの
仕事への評価として、これはいかがなものかです。
 和菓子屋の息子で文学者となった人もいますが、それはまだよしとして、
和菓子屋の息子で、パティシエになった人のことをみますと、和菓子の将来は
どうなるのかと、あんこものが好きな当方はそう思うのでありました。