ブルータス30周年 2

 「ブルータス30周年特集」となっている6月1日号には、この雑誌を企画した木滑
良久さんと石川次郎さんの対談が掲載されています。雑誌創刊の裏話ですが、まずは、
この対談を取材したライター川勝正幸さんによる雑誌「ブルータス」へのコメントで
す。
「 なぜ、当時も今も競合誌がない雑誌『ブルータス』が誕生したのか。この出版界に
おける”事件”については、Mr.マガジン・ハウスこと木滑良久さんとMr.ブルータスこと
石川次郎さんの二人に語っていただくしかないだろう。」
 競合誌がないというのは、男性のほうが女性よりも雑誌を読まないということでは
ないですね。それだけ、「ブルータス」という雑誌の作り方がまねしようのないもので
あったということでしょう。この「ブルータス」は、雑誌「ポパイ」が発刊されて
4年後に、「ポパイ」の卒業生のために作られたのですが、「ポパイ」には「ホット
ドックプレス」があったのに、「ブルータス」は、ここまで一人わが道をいくという
ことですか。
「ブルータス」を作った人について、お二人の対談には、次のようにあります。
 木滑さん 雑誌は創刊して3年くらい経つと、飽きるんですよ。カスカスと音が聞こ
      えてくる。
      ・・それは『ポパイ』より大人っぽい雑誌をやりたい!という純粋な希望
      でね。だって、僕は太平洋戦争が終った時、15歳ですから。遅れてきた
      少年として、失われた青春を『ポパイ』で取り返そうと一生懸命やって
      いたわけです。
 石川さん 『ポパイ』は予想より早くテイクオフして、3年目にはかなりうまく
      いっていたわけです。読者もかなり見えてきていた。・・木滑さんが
     「『ポパイ」の卒業生のための雑誌を作ろう」と言い出した。・・
      せっかくつかんだ読者だけでなくて、スタッフたちも手放したく
      なかったわけです。・・
      「ブルータス」編集部は、前から目星をつけていた連中に声をかけたら、
      アッという間に集まった。みんな不良で、酔っぱらいで、一癖も二癖も
      あるけど、仕事をやらせると一流だった。よく言えばディレッタント
      悪く言えば奇人変人の集まり。それが僕にはすごくうれしかった。」
 
 当方は、どちらかというと「平凡パンチ」(というか「朝日ジャーナル」)世代で
ありまして、「ポパイ」は、ほとんど手にすることもなしでした。「ポパイ」は世代
的にあわないものを感じたのですが、その卒業生のための「ブルータス」は、対象
年齢の幅が広く、特集もいろいろな切り口がありましたので、まんまと編集者にのせ
られてしまったわけであります。
 この30年の特集が一覧になっているのですが、ほとんど購入したものがないの
にも驚くほどであります。