買った本 5

 矢川澄子さんは、先の大戦が終わった時には15歳でありましたが、日本の教育制度が
旧制から新制へと切り替わる頃にあたっていまして、最初の大学卒業までは旧制であっ
たとあります。旧制の大学(特に帝国大学)は、女性への門戸を開いていないか、かな
り制限がかかっていたため、当時の女性としては「ベスト&ブライテスト」であったの
でしょうが、男性とくらべるとずいぶんと回り道をしているように思います。
 これは矢川さんと旧制大学で一緒だった詩人の多田智満子さんについても、いえる
ことであります。いまであれば、大学の選択においても男性と女性には、ほとんど性に
よる差別はない(一部女子大学を除くと)はずでありますが、旧制の帝国大学は基本
的には旧制高校の卒業生でなければ受験資格がないわけでありまして、女性は旧制高校
に入学できないのですから、ほとんどの帝国大学から閉め出されていたわけです。
 回り道をした矢川さんが通った大学は、東京女子大学習院大学東京大学で、前の
二つは卒業し、東大は学士入学し4年在籍して、中退とあります。その時28歳、翌年
澁澤龍彦さんと結婚したとあります。
 この結婚は10年ほど続いたのですが、ずっと後まで尾をひくものであったようです。
「父の娘」である矢川さんの理想の男性というのは、もちろん父上であったのでしょう。
そういう理想の男性像というのは、生活のパートナーとしては、決して良い相手では
なかったように思います。(ここでも多田智満子さんのことが思い浮かびます。)
 澁澤龍彦さんとのことについては、矢川さんも記しているのですが、それじゃ谷川雁
さんとのことについては、どうでありましょう。どこかの作品のなかに、その姿がひそ
んでいるのかもしれませんですが、当方はわかっておりません。
 先日に亡くなった松山俊太郎さんは、澁澤、矢川とは古くからの知己でありますが、
ユリイカ矢川澄子特集号に松山さんが登場して、池田香代子さん、佐藤亜紀さんと
対談をしています。
 松山さんは、澁澤さんについて、このようにいっています。
「澁澤さんっていうのは・・少なくともずっと連れ添った人間、女に対してべらぼうに
冷酷だと感じましたね。これもスポイルド・チャイルドだから、精神が未熟だから、
それはもうしょうがないよとも思える。そもそもそういう男を好きになった澄子さんの
趣味が悪いからで、私が女だったら澁澤さんを好きにならないし、自分の縁者が澁澤さ
んを好きになるって言ったら最初から止めろっていうに決まっているんだから。」
 矢川さんは、趣味が悪いとばっさりです。
 その趣味の悪さについて、松山さんのさらの発言です。
「日本の明治以降の男というのはテンプラインテリなんだよね。インテリなのは衣だけ
で、中身は野蛮人が圧倒的に多かったんじゃないかな。谷川雁はそれが外にもでた形の
暴君だと思うね。
 私は谷川雁とは一度だけ、ゴールデン街五番街ぐらいのはずれの梅雨っていう店の
二階でね、偶然、閻魔が塩辛舐めたみたいな威張りくさった奴として会っただけだけど
ね。数回いっしょに飲んだら殴り合いになりそうな気がしたけど。矢川徳光氏は長崎の
出身でしょう。矢川さんにはもともと九州男児の荒っぽいのが好きっていうところが
あって、澁澤さんはそれと対極にいるから逆に好きになりやすかったってところがある
のかも知れない。雁と一緒になることで、無理をしないで本来の性向に戻ろうとしたと
思うんだ。」
 松山さんは、よほど谷川雁さんが気に入らなかったようであります。
 この対談では、一番若い佐藤亜紀さんが、「どうしてテクストを作者の実生活から
切り離して読むことができないか、疑問を感じます」と、松山さんの発言に対して不快
感をあらわにしています。
 当方は、矢川さんの作品に関していえば、実生活を切り離してテクストを読むのは
難しいと感じています。それが谷川雁さんについての本を見ても矢川さんのことを思い
浮かべるようになっているのでありました。