ブルータス30周年 3

 先日のテレビを見ていましたら、「日めくりタイムトラベル」という番組を
やっていました。その回は、昭和48年(1973年)の出来事などをとりあげて
いたのですが、それにでてコメントを寄せていたミッキー・カーチスさんは、
1973年なんて、つい昨日のことのように感じられるといっていました。
73年というと、当方は大学4年で、就職試験を受けたりしていた年でありました。
まあ、当方にとっては、つい昨日のことのようではありません。 
 「ブルータス」創刊の80年というのは仕事についてから、たった6年後の
ことですが、その年には子供がいたせいもあって「ブルータス」という気分には
ならなかったのかもしれません。たぶん、そのころに一番良く手にしていた雑誌
は、「暮しの手帖」でしょう。すでに「花森安治」さんは、亡くなっていたので
ありますが、いまだ花森イズムの雑誌でありました。ヤシカのカメラ(もちろん
エレクトロ35)も、モンブランの万年筆(これは320)も購入したのは、
暮しの手帖」の商品紹介を参考にしてのことでした。石油ストーブでアラジン
を購入しなかったのも、そうでありました。
 80年の「ブルータス」は、7月創刊から三カ月間は月刊で、その後月二回の
刊行となっています。当方がはじめて購入した「ブルータス」はどの号かと思う
のですが、「本の特集」というのが80年11月1日号ででていますので、この
あたりを購入したでしょうか。残念なことにこの表紙の写真がありませんので、
はっきりはしないのですが。
 この30周年特集は「ポップカルチャーの教科書」とあります。この特集をみま
すと、つくづく当方は「ポップなカルチャー」に弱いなと痛感するのでした。
 この「教科書」で、「文学」を担当しているのは、当方と同年生まれの高橋
源一郎さんであります。高橋さんの文章のタイトルは、「日本文学からニッポン
文学へ」というものです。
「 三十年前、1980年、『BRUTUS』が生まれた頃、『日本文学』があった。
その頃の『文学』は、『日本文学』としか言いようのないものだった。『明治
文学』があり、『大正文学』があり、その後継者としての『昭和文学』や
近代文学』や『戦後文学』や『私小説』が生きていた。」
 これに続いて、80年当時に健在で作品を発表していた作家(もちろん、
今はみな鬼籍にはいっている。)たちの名前が羅列されています。
この鬼籍にはいられた物故作家たちのリストをみますと、この時代のほうが、
文学(小説分野)は豊かであったように思えるのですが、これは、当方に
とっていい時代であったからでしょうか。