本日は電車に乗って片道1時間ほど離れた街へといっていたのですが、車中で何を
読もうかと思って用意をしたのは、次のようなものであります。
1 SUMUS 13号 もったいなくて、1日すこしずつ読むことにしています。
2 日本哲学小史 熊野純彦編著 中公新書
先日に岩波「図書」2月号で、熊野さんの「西田の影のもとで」という文章を読ん
で、この方の書くものに興味を持ちました。岩波新書の「和辻哲郎」とどちらにしよう
かと思いながら、本日はこちらとなりました。
ちなみに「西田の影のもとで」という文章には「詩人哲学者の系譜について」という
副題がついているのですが、美学者 中井正一の師であった深田康算(1878〜1928)
がとりあげられています。
「 深田の著作は多くはない。深田の透きとおるようなたましいが、しかし多くの学生
に強い印象をのこす。深田の没後にその全集編纂に協力した美学者グループは、やがて
『美・批評』と『世界文化』に結集した。中井正一(1900〜1952)が、この集団を
代表する存在である。中井の名すら、とはいえいまはやや耳遠いものとなり、深田康算
のなまえは、歴史を覆う霧の厚みのかなたになかば消えはてた。」
ちょうど当方が学生のころに、中井正一全集は刊行中でありました。美術出版社から
ですが、長い中断期間にはいっていたのですが、中井が「土曜日」に寄せた巻頭言が、
既刊の全集には収録されていて、それが当方にもアピールしたのでした。当方は、
久野収さんの導きで中井にたどりつくのですが、中井のものを読むと、自然と深田康算
に関心を抱くようになるのでした。知人には、当時刊行がはじまった深田康算全集
(玉川大学出版部)を購入した人もいたのでした。(いま「日本の古本屋」でみまし
たら、玉川大学版は、ずいぶんと安く販売されていて、驚きました。全集には、昭和
初期にでた岩波版もあるのですが、こちらは高いことです。)
前に引用したところに続いて、熊野さんは深田について、次のように書いています。
「 深田の思考の文体は、同時代でほとんど孤立しているかにみえる。季節は、深田の
香りたかい散文を忘れた。時代をともにした若い世代に愛着され、この国の近代の時間
を潜りぬけて、現在にいたるまで読むつがれてきたのは、むしろ西田幾多郎のような文
体とその思考である。」
西田の文体については、「ふつうに考えてひどくまわりくどく、反覆に反覆を重ね
てゆく西田の文体が、同時代をとらえ、さらに時そのものの試練に耐えてきたのはなぜ
だろう。」と書いています。
哲学のスタイルを深田と西田の文体の違いから書きおこしのが、当方には新鮮であり
ました。西田の書物をなぜ当方が手にしないかというわけもわかるように思えます。
「深田の一文は、日本近代の哲学的思考から紡ぎだされた、もっとも瑞々しい散文の
一つであるといってよい。
その思考の文体は、とはいえ、この国の近代における哲学的思考の範型とはなりえな
かった。時の経過ののちにも生き残ったのは、西田のそれである。・・・同一の語彙を
繰りかえし反覆し、『ねばならぬ』『なければならない』という断定を強迫的に繰りだ
しつづける西田の文体こそが、思考する過程そのものの報告とみなされたからであり・」
この「図書」掲載の文章の最後のくだりは、次のものです。
「 12月には、編著書として『日本哲学小史』を中公新書から公刊。その間、たえず
考えつづけてきたころは、この国の近代における哲学的思考が展開してきた、文体的な
可能性のさまざまである。・・
すくなくとも、西田の思考の文体の陰で、いまそのすがたが見えにくくなっている
ものがある。それは詩人哲学者たちの隠れた系譜であったように思われる。」
- 作者: 熊野純彦編
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2009/12/18
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