文化こそ戦争を滅ぼす 3

 鈴木正さんの文章を眼にしたおかげでいろいろとつながるものをたぐり寄せ、ひっぱり
だしてくることになりました。
 まずは中井正一さんの著作であります。鈴木正さんの著作目録の最初にあげられて
いるのは「日本の合理論 狩野亨吉と中井正一」というもので、当方が鈴木正さんの名前
を見て中井正一さんのことを思い浮かべるのは、不思議でもなんでもありません。
金森徳次郎さんは国立国会図書館の初代館長で、それを副館長として助けたのが中井さ
んでありますから、中井さんが金森さんのことをどのように書いているかと思うのも
ごく自然なことです。
 ぱらぱらと中井正一全集第4巻を見ても、金森さんの名前がでてくるところは、次の
ところくらいでしょうか。
国立国会図書館について」という文章の冒頭にありました。
「今年(1948年)の冬の夜のことであった。
 アメリ国会図書館使節の招宴に金森館長とともに列席した。
 参議院図書館運営委員長である羽仁(五郎)氏はあいさつの席上で『自分は日本の民主
化のため、国立国会図書館の礎の下に身を横たえたい』とのべた。すると、使節の一人で
あるブラウン氏は『私は羽仁さんに申し上げたい、貴方の席をちょっとあけて取っておい
ていただきたい。私もその国会図書館のコーナー・ストーンの下に身を横たえたいと存じ
ますから』とのべた。
 皆わらってしまったけれども、私にはしみじみとしみ透るものがあった。」
 日本を占領した連合国=USAは、日本を民主化しなくてはいけないと考えて占領政策
をたてるのですが、その大きな柱の一つが教育でありました。
 中井さんの別な文章には、次のようにあります。
終戦後、アメリカが図書館界に示した関心はまことに深いものがあった。その一つは
国立国会図書館の設立であり、その二は図書館法の制定であり、その三は、図書館学校
のためにアメリカの費用でアメリカ教師を遣したことである。」
 その後にくる冷戦構造が、アメリカが日本に違った役割を求めることになったわけで
す。
中井正一さんは、1952年に52歳で亡くなったのですが、その後の日本をみましたら、
どのような発言をされたでしょうか。
「『真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界
平和とに寄与することを使命として』の言葉をもってわが国立国会図書館法はその劈頭を
飾っている。この使命は雄大なものでもあるが、現に今、これほど切実であり、現実的な
願いはないのである。しかも、この願いを実現するにあたって、この国立国会図書館
ど、組織として、直接役立ち、そのために、その完成の急をまたれるものはないのであ
る。」
 1948年7月「国立国会図書館について」より。