老年の文学4

 昨日に「菅野満子の手紙」を取り出してきて、あとがきを引用していたのですが、
この本をどうして購入したのだろうかと頭をひねっていました。刊行は86年であり
ますから、今から23年前のことです。「別れる理由」の全三冊を読み進めようと
思って苦戦し、それなら目先をかえて手紙ものならばと思ったのかもしれません。
「菅野満子」さんというのは、小島信夫さんの作品「女流」の主人公でありまして、
「菅野満子の手紙」という作品は、小説「女流」と呼び交すものとなっているので
した。この作品は、装幀が田村義也さんものでありまして、本には帯が挟み込まれて
いました。帯には、次のようにあります。まずは表紙に面したほうの帯から。
「 女流作家・菅野満子と夭折した『私』の兄との恋愛事件をめぐって、実在の人物や
手紙、対話などを連鎖させ、独自の豊穣なフィクション世界を造型する最新長編小説。」
裏のほうには、昭和60年9月の毎日新聞文芸時評」が引用されています。この評者は
篠田一士さんであります。
「『唱和の世界』・・すなわち、ひとりの人物が、もうひとりの人物を、あるいは、
ひとつの事件が、もうひとつの事件を導きだすといった、人物と事件がつぎつぎと連鎖
的につながり、ポリフォニックなコーラスになってゆくのである。・・
 この作者にとっては、この世のすべての物、事柄は、それが言葉によって口にされ、
書き記されるかぎり、ことごとく、フィクション、あるいは、フィクショナルなものに
ほかならず、フィクションとノンフィクションといった、月並みな区分などは、到底、
介入する余地はないようだ。文学心の篤きこと、おどろくべきものがあると、いまさら
のようにあきれるばかりだ。・・」
 この帯にある評は、篠田さんの「創造の現場から」小沢書店で全文を読むことができ
ます。この「創造の現場から」の巻末には索引がついていますが、これで小島信夫さん
をみてみましたら、篠田さんは、「美濃」「私の作家遍歴」「別れる理由」「別れる
理由」「町」「ハピネス」「菅野満子の手紙」「寓話』「年譜』などを「毎日新聞 
文芸時評」でとりあげていることがわかります。
 そういえば篠田一士さんと小島信夫さんは、ともに岐阜の人でありました。
「残光」の冒頭で、小島さんが次のように書いています。
「 私は四、五年前から岐阜にできた『小島信夫文学賞』に係ってきている。
私はセン考委員ではなく、ただのオブザーバーであったのだ。若い岐阜出身の山田
智彦が不意に亡くなったので、小島、つまり私がセン考委員になってしまった。
この『小島信夫文学賞』というのは珍しいもので、まだ生きている私の名前の賞なので
ある。私の十年後輩である、平野謙とともに中央で評論家として知られていた篠田一士
が十年以上前に亡くなったので、同級生だった吉田豊という人が音頭をとって、この
賞を作った。」