老年の文学5

 小島信夫さんの小説が、このように話題となるようになったのは、なんといっても
作家の保坂和志さんが尊敬をこめて小島信夫さんの作品を取り上げたからでありま
しょう。
 90歳となった小島さんが「残光」を発表するにいたったのも、保坂さんの応援
なくしては実現しなかったものです。老大家が、最後まで現役でいることができた
背景には、保坂さんがあったというのは、よく知られていることであります。
( 本年下期の「芥川賞」を受けた商社勤めをしている作家 磯崎憲一郎さんは、
保坂さんの指導を受けていた人でありました。磯崎さんは、保坂さんのスクールだけ
あって作家として小島信夫さんを目標に長く生き続けていきたいと語っています。
保坂スクールにとっては、小島信夫さんは先生の先生となるのでした。)

残光

残光

 新潮文庫「残光」のあとがきには、次のようにあります。
「 何十年も前に書いていた小説が、発表された頃には四千枚もあるので読まれる
ことも少なかったが、評判も決してよくはなかった。学生時代からの同業者の友人
たちは別に悪意を抱いているというわけでもなく、『あの小説は良くないよ』とか
『あれはいけないよ』とか、『どうしてあんまものを書くことになったのか』とか
いっていた。
1968年あたりから1981年にわたって書かれた小説で、『別れる理由』という題名で、
・・・・ところが、あることをきっかけに『いけない』作品ではないというので・・
何か今もパイロットのようなことをしているように見られている。
 保坂さんは二年以上前から『小説をめぐって』というエッセイを文芸雑誌『新潮』に
連載している。このエッセイはまだ続いて行くが、とりあえず『小説の自由』という
タイトルで本にするので、その宣伝をかねて『トーク』というものを百人くらいの
聴衆の前で行った。」
 この「残光」文庫本の解説は、「残光」の一行目に名前があがっている山崎勉さんと
いう方です。
 小説「残光」の書き出しは、次のとおりです。
「 これから、時々、その名がでてくるかもしれない、山崎勉さんという人は、英文
学者で、たいへん魅力的な声をしている。この人は、前にぼくの八十八歳の祝いの
小さい小さい会が催されたときに最初に演壇にあがってしゃべってくれた人である。
そのあとに続いて、保坂和志さんがぼくのことを語ってくれた。」
 山崎さんは解説で90歳の小島さんの背中を押したものとして、次のように書いて
います。
「 書く意欲に一層拍車をかけたのはまず第一に青山ブックセンターでの保坂氏との
トーク』およびそれが必然的に促した『菅野満子の手紙』、『寓話』その他旧作の
読み直しであり、加えて坪内祐三氏の『別れる理由が気になって』(講談社2005)
の出版であったと思われる。さらに当時進行中であった語り下ろしの小説論や、
『書簡文学論』刊行の打ち合わせ等もあずかって力があっただろう。要するににわか
に『身辺が賑やかになった』ことが氏の背を押したのである。」
 90歳にして、このようなことになるのでありますね。
 小島信夫リスペクトの一番は、小島さんがあとがきに書く次の逸話でありましょう。
「 保坂さんは『トーク』のあと、自分の仲間たちで『寓話』をパソコンを使って本を
造るつもりだというようになり、今年の正月には、入力は終ったから、小島さんの
91歳の誕生日には届けられるかもしれない、といった。彼がくりかえしいっているのは、
『寓話』の本そのものを読んでもらうことで、ぼくの仲間も一人百枚ずつ担当すること
にしているが、読みながら面白がっているといっている、とのことであり、ほんとうに
二月二十八日の誕生日に間に合った。百冊以上の申し込みがあったそうである。」
 現在、「日本の古本屋」で「菅野満子の手紙」は見当たらないのであるますが、
「寓話」は何冊かありまして、そのなかには、こうしてできた一冊が、Kプロジェクト
刊として販売されているのでした。
「別れる理由」が気になって

「別れる理由」が気になって