老年の文学3

 小島信夫さんの「残光」を手にしていますが、この作品は、今から20年以上も
昔に発表された「菅野満子の手紙」と「寓話」という長編小説を作者である小島さん
が再読するという趣になっています。
 もともと「菅野満子」さんというのは、小島さんの作品「女流」の主人公であり
まして、「菅野満子の手紙」というのは、「女流」につながる話しといえるでしょう。
 しかしそうは簡単にいかないのでありますよ。
「菅野満子の手紙」は読もうと思って、刊行された時に購入をしているのですが、読ん
だのはあとがきくらいのものです。
「作者はこの作品を、随筆でも書くように始めた。それに数回で終わるつもりでいた。
すると忽ち小説の様相を呈しはじめた。そして今まで小説のなかにいた人物も読者に
なり、まったく外側にいた人たちも、登場人物を志願するというような有様となり、
賑やかに慌ただしく『菅野満子の手紙』なる船は走りだした。
 これを別のいい方でいうと、作者のなかに潜伏し、作者も気づいていないものがうご
めきだしかけたということであり、否応なしに当面の目標に向かって航路をさだめなけ
ればならない。
 これは作者の思う壷であるが、そうは問屋はおろさないというのが、当然の結果で
ある。作者は自作についてこれ以上語らないのがよいと思う。一般にそういったもので
ある。この作品の場合は、特にそうである。登場人物が作者が解説しそうなことを、
その人物なりの立場で述べたり、疑問を呈したり、それをほかの人物が答えたり、
時には、小説のなかで一人物を装って応答しているからである。」
 この作品は、「菅野満子さんの手紙」といいながら、書き出しの一行目は、手塚富雄
さんが発表した伝記「ヘルダーリン」を読んだ話しであります。家庭教師ヘルダーリン
と彼の教え子の母である夫人との愛の物語から、「菅野満子」さんの話しに転じていく
のであります。
「 ところで筆者はつい最近、二十年前に書いた『女流』のことを思い出した。ある
婦人雑誌の座談会で『女流』の主人公の女流作家、菅野満子は由起しげ子であり、彼女
と彼女の夫の印象がかたられていた。筆者のところに雑誌をもってきたのは、
『すばる』の編集長である。約束の小説の締め切りも迫ってきていた。筆者は、そこで
こうして書いてきた文章のことを思いたった。」