なんとか読了

 ここ一ヶ月ほど手にしていた柴田翔さん三十年ぶりの長編小説「地蔵千年花百年」
を読みました。

地蔵千年、花百年

地蔵千年、花百年

 柴田翔さんという作家さんは、ほとんど引退していたようなものでありますから、
この方が三十年ぶりに書きたいと思って世にだしたものが、どのようなものか興味が
ありました。
 当方は柴田翔さんが若い頃に書いた作品をいくつか読んでおりましたので、そういう
ことになったのですが、柴田さんになじみのない人は、この作品にとうてい手を出す
ことはないだろうなと思うことです。
 この作品は面白いかといえば、部分としては興味をひかれるエピソードがあるもの
の、読む人を楽しませようというようなサービスはありません。けれども退屈という
のでもないのですね。
 作者が80歳になってから書いた作品で、主人公はほぼ同年に設定されていますが、
作者を連想させるようなところはなく、フィクションであることがことさら強調され
ているように思います。
この本には、はさみこまれているしおりは「作家対談」となっていて、柴田翔さんと
菅野昭正さんが語っています。当方は、読了してからこの対談を読んだのであります
が、これは作品を読むにあたって参考となることです。
 これで柴田さんは、次のように語っています。
「いわゆるリアリズム小説的な書き方はやめようと思ったんですね。リアリズムの方
から言えば、何で登場する人物がうまい具合にいろいろ出会うんだという話になります
けれど、小説ではそういうふうに出会ったっていいじゃないか、そちらの方に人生の
本質は現れる。そういう気がしたんです。そう思った時、書くのがずっと楽しくなりま
したね。」
 そうなんですよね、これを読んで感じるのは、書いている作者は楽しんでいるなと
いうことでありました。その楽しさというのを、読者も共有することができるかなんで
あります。 
 当方は、そこそこ作者のたくらみにのせられて楽しんでいましたが、これは当方の
年齢のせいであるのかもしれません。