ぼくの伯父さんの会3

 長谷川四郎さんの生誕100年を記念しての河出 道の手帖「長谷川四郎」特集には
小説では「シルカ」「鶴」とならんで「ぼくの伯父さん」が収録されています。
 小説「ぼくの伯父さん」は69年青土社からでた「ユリイカ」のために書かれたもので
あります。
ユリイカ創刊号(復刊第一号)は1969年の七月号であって。これが世にでる何カ月前で
あったか編集長清水康雄君来訪。こんど故伊達得夫君のあとをつぎ新『ユリイカ』をだす
ので創刊号に散文一編を寄稿されよといわれ、書いてみるとわたしは答えた。」
これは単行本となった「ぼくの伯父さん」(青土社 71年9月刊)のおくがきにある
四郎さんのことばです。
 「ぼくの伯父さん」にまとめられた作品は、『ユリイカ』第2号8月号から、なんとか
約を果たし毎号コントのようなものを書いた12を1サイクルとして12回書くという
当初の約束は果たすことが出来ず」とあります。
 この「ぼくの伯父さん」というコントのほうの伯父さんは、現実の伯父さんには
まったく無関係で、「ジャック・タチ」監督、主演の映画「ぼくの伯父さん」から
思いついた書いたものです。こちらの解説のほうは、全集の編集者である福島紀幸さんが
記していることであります。
 長谷川四郎さんの現実の伯父さんについては、「新日本文学」65年7月号にちらっと
でてきます。
「突然、私の耳に琴の音がきこえてくる。死んだ<ぼくの伯父さん>琴をならすのが好き
だった。彼は鉄道沿線に住んでいて、私は学生の時、長い帰省の道中、途中下車して彼の
ところへ立ち寄った。駅をでて歩いていくと、行手のむこうの方から、風にのって琴の
音が聞こえてきた。」
 わたしにとっての「ぼくの伯父さん」は、長谷川さんの現実のおじさんではなく、
ジャック・タチ」から思いついたほうであります。
「その四郎さんと、はじめて顔をあわせたときから、どこかで見た顔だと、いや顔だけで
なく、からだぜんたい、姿かたち、立居振舞いぜんぶにわたって、ずいぶん長い間思い
つづけて、ずいぶんあとになって、あれだ!と女房とふたり手をうったのが、『ぼくの
伯父さん』ことジャック・タチ。とくに、日本では二本目の公開となった第一作、
『ぼくの伯父さんの休暇』のほうの主人公の風貌こそ、四郎さんそのものである。」
 ここに引用したのは、林光さんが長谷川四郎全集の月報に寄稿したものであります。

長谷川四郎--時空を超えた自由人 (KAWADE道の手帖)

長谷川四郎--時空を超えた自由人 (KAWADE道の手帖)