ぼくの伯父さんの会4

 昭和の時代が終わるころに、数年間だけ東京に住んでおりました。そのころに、
すでに当方は、「ぼくは伯父さんの会」会員でありましたので、東京に移り住んだ
のを機会に、病床にあった長谷川四郎さんを訪ねてみたことがありました。
長谷川四郎さんのお見舞いにいったというよりも、入院している四郎さんを看病
している奥様にお会いにいったというほうがあっていますでしょう。当方の子供が
小学校低学年であったせいもあって、奥様は子供たちが同行したことを大変喜んで
くださりました。
 入院していましたのは世田谷区の病院でありました。その病院にはかって入院
していた方のあだなを冠した「将軍池」というのがありました。

東京の池

東京の池

「東京の池」には、小沢信男さんによる「将軍池と加藤山」という文章があります。
「 ところで、この池は、だれもがいつでも見られるとはいいにくい。用のない人が
ぶらぶらと立ち入るべきではないであろう。だが、総合病院の現在は、受診するなり
見舞うなり、用のある人もふえている道理だから、その機会に一見されたい。
 私の場合は、畏敬する先輩がここに何年か入院していたので、見舞いのついでに
何度か立ち寄った。先輩に付き添う夫人が、この池のほとりの日々の散歩を心の
憩いとしておられて、まさしくオアシスなのだった。
 先輩は、ここで死んだ。享年77歳。それきりご無沙汰している。
 あの池畔に、また立つことがあるだろうか。」

 当方の東京生活は、長谷川四郎さんを病院にお見舞いして、亡くなった時は、
葬儀に参列したというのが一番の出来事です。小沢信男さん文章にある「将軍池」
のほとりを奥さんと散歩したのも良い思い出です。
 当方が東京を離れて数年間は、長谷川夫人とお手紙の交換をしておりましたが、
体調を崩されてから、音信不通になり、それから十五年以上にたってから、
奥様が亡くなったことが風の便りに聞こえてきました。
 今回の河出 道の手帖の没後年譜には、「2007年 長谷川済子没 12月29日
享年 93 」とありました。