ぼくの伯父さんの会2

 長谷川四郎さんには「ぼくの伯父さん」(1971年刊)という作品集があるのですが、
これは別にジャック・タチ主演の映画に刺戟を受けて書かれたものではありませんで
しょう。
 「新日本文学」1978年9月号は「長谷川四郎論」の特集ですが、これに掲載されて
いる「ハセガワシロウの声きけば」という小沢信男さんの文章によりますと、「ノッポで
無口で、無表情で、いっさいの家事茶飯事をパントマイムでさっさとかたづけていく」
といった風貌から、ジャック・タチへの類似性を、最初に言及したのは花田清輝さんで
あったようです。(花田清輝さんの「芸術の総合化とは何か」という文章にあるとのこと
ですが、いまはこの文章にあたることができておりません。)
 このジャック・タチへの連想から、「ぼくの伯父さん」となったもののようですが、
この特集の小沢信男さんの文章によりますと、次のようにあります。
「 長谷川四郎について語ろうとすると、とにかく比喩が湧いてきてしまうようなのだ。
たとえば<ぼくの伯父さん>だ。このアダ名(?)は、ジャック・タチの同題の映画を
ふまえて、つとに定評のあるところだ。」
 「ぼくの伯父さん」というアダ名は、ご本人にも聞こえていたに違いありません。
このことを当方は確認のしようもありませんが、長谷川四郎さんがいまだ健在であった
1976年に文学全集の配本が始まりましたが、晶文社としてこれ以上に力のはいった
内容見本は、これ以前も以後もなしというできばえです。(どこかで触れているかと
思いますが、晶文社の創業者中村勝哉さんは函館出身で、中村さんは中学校の後輩と
いう縁となります。「本の雑誌」の発行人 浜本茂さんも函館中部高校で、本の雑誌
9月号の巻頭エッセイ「今月の一冊」で函館中部高校にゆかりのミステリー作家について
記しています。函館の人は、ふるさと思いで、郷土の先輩を大切にするということで
しょうか。)
 この全集の内容見本には、浅井慎平さんが写したたいへん素晴らしいポートレート
長谷川四郎さんの息子さんは、映像分野で活躍をしていて、スチールと映画の両方で
活躍をしていた方です。そういう方の父上をとるのですから、浅井さんの写真の出来が
悪いはずがありません。)と掲載され、晶文社の刊行のことばは、小沢信男さんの
手になるものです。
長谷川四郎氏の文章の魅力は、魔法の杖のようなものd、読む者のうちに、えもいわ
れぬ歓びを響かせます。しかしなぜそうなるのか、それがなかなかに捉えがたいのです。
 思うに氏の文章が、あまりにものびのびと読者の深いところに届いてしまうがゆえに、
われらは、それを天来の妙音と感じさざるを得ないのでしょう。
 すなわち長谷川四郎氏は、われらのごく身近にいる”ぼくの伯父さん”であり、同時に
また、遥か天空に渦巻く一箇の青雲なのです。・・・」