加藤周一さん逝去

 ネットでニュースを見ていましたら、加藤周一さんが5日14時に亡くなったと
ありました。いつかこのような日がくるとは思っていたものの、最近まで文章を
発表していただけに、突然の死のように感じてしまいます。
 小生にとっては父の世代となりますが、その世代の知的ヒーローのお一人で
ありまして、最後まで自分の頭で考えることによって行動し、力をもっている
人にすり寄ることがなく、したがって勲章にも縁がありませんでした。
 生前に、お姿をお見かけしたのは、一度でしょうか。いまから20数年前、
小生が東京で勤務していたとき、仕事で地下鉄丸の内線の車両に乗り込みました
ところ、小生がすわりました前に、席にすわって書き物をしている男性が
いらっしゃいました。このような地下鉄で書き物をしているとはと見ましたら、
それが加藤周一さんでありました。ちょうど加藤さんのまわりにはオーラが
でていたように感じました。
 最近まで九条の会などの講演のために全国をまわっていたのでしょうが、誠に
残念なことに、その後、お姿をみる機会をもつことができませんでした。

「 もの心ついてからこの方、何の因果で、私は、日本国民でありながら、日本政府
の政策に反対でありつづけたのか。すでに1941年に、私は東条内閣の戦争に賛成
できなかった。当時の閣僚の一人が、20年後に再び起って、新しい軍事同盟を結ぼう
としたとき、その政策にも賛成できなかった。おそらく私は、生まれつきの性質が
険しく、叛骨の抑え難いものがあったから反対したのではなかったろう。羊の年に
生まれた私は、みずから顧みるのに、その性情の温和なること羊の如く、話をするの
にさえ大声叱咤を好まない。因循姑息のそしりは甘んじて受けるとしても狷介矯激の
難は当たらぬだろう。道義的立場から憂国の至情がやみ難かったというのでもない。
そもそも道義上の問題については、どういう絶対的な答えも私にはなかった。
政治上の問題についてはなおさらである。
 一体私の本がもうすこし売れ、私がもう少し有名になり、もう少し金持ちになった
として、そのことによりわたしはどれだけ満足するだろうか。たしかにそれは、
たとえ相対的であるにしても、道義上の満足、たとえ不完全であるにしても、知的
満足に、はるか及ばぬものでしかないだろう。つまるところ私は、私自身の、決して
確実だとはいいきれないところの、しかし私にとってそれ以上に確実な価値判断の
根拠をもとめ難いところの、道義感にもとづき、時の政府の政策に反対の意見を
もちつづけてきたのである。その道義感は、いくさのために友人を失ったこととも
関係していたかもしれない。彼らの生命の値打ちは測り難く、彼らの死はとりかえし
のつかぬものであった。」 ( 「続 羊の歌」  岩波新書 より )