明日は返却しよう

 図書館から借りていた「加藤周一はいかにして」は、返却期限が本日で

ありまして、昨日までに読了して、本日はお返しにいくのが、正しい利用者の

あり方でした。そうはうまくいかずでありまして、本日に帰宅してからあわてて

残っていた百ページくらいを読みまして、なんとか明日には返却することが

できそうです。(当方もこの本を購入しているのですが、いまだ手許に届いて

おりませんものの、読み返すとしたら、それが届いてからでしょう。)

加藤周一はいかにして「加藤周一」となったか――『羊の歌』を読みなおす

 鷲巣さんの「加藤周一はいかにして」は、副題が「羊の歌をよみなおす」と

なっているのですが、当方が「羊の歌」を読んだのは、いまから50年も前の

高校生の時でしょうか。ずいぶんと昔のこと、記憶がはっきりとしないことで

す。これをフィクションとして読んだのか、回想として読んだのかも定かでは

ありません。

 それから必要に応じて、何度か読み返して(といっても必要なところだけの

ことが多い)いて、京都で過ごした学生時代には「京都の庭」などのくだりで

次のように描かれる女性が気になったことです。 

 「京都に生まれて、育ちながら、町へ出ることは少なかった。若くして死ん

だ夫は、仏教学者で、唯識論に凝っていたらしいが、彼女自身は仏教に興味

をもっているというのでもなかった。子供が一人あって、近所の小学校に通っ

ていた。その子供の世話をしながら、ひっそりとして、うす暗い家のなかに、

浮きだすように白いその顔があった。」

 今回の鷲巣さんの本は、これまでほとんど明らかになっていなかった加藤

周一さんの結婚歴や母、妹という女性家族との関係について多くのページ

が割かれていて、古くからの「羊の歌」読者には、とっても興味をひかれるも

のとなっています。

 「加藤周一と女たち」とそのところだけをつまんで読んでおしまいとすれば、

もっと早くに読み終わったのでありましょうが、やはり、これはぐっとがまんを

しながら、頭から読んでいって、最後にたどり着いてもらいたいものです。

 「羊の歌」には、加藤周一さんが学生時代に聴講した文学部の康義につ

いて書かれたところがあります。

「鈴木助教授の『マラルメ研究』は、途方もなく詳細であり、私の出席したと

きには、詩人の生涯という話の一部分で、ある年にマラルメの借りた家の家賃

がいくらであったか、ということが話題であった。『いや、おどろいたね』と私は

その頃仏文科の学生であった中村真一郎にいった。『文句をいうなよ、君など

は運がいい方だ』と中村は答えた、『今年はとにかくマラルメの話じゃないか。

考えてもみたまえ、マラルメが生まれるまでに、一年もかかったのだぜ、一年

も! 」

 安心してください、鷲巣さんの著作のほうは、そんなに途方もない話では

ありませんです。

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

続 羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 690)