このところ、小説家 加藤一雄さんについて話題としています。湯川書房から
加藤一雄さんの作品が限定本ででるにいたったのは、この本にかかわった湯川成一さんと
戸田勝久さんがともに、加藤一雄教の信者であったからでありますが、もともとは、
戸田勝久さんが先に入信して、戸田さんの影響で湯川さんも信者となったものの
ようです。
戸田さんは54年生まれでありますが、このかたが加藤一雄さんの作品に出会った
のは、どのようなきっかけでありましょう。
小生が、加藤一雄さんの小説を手にすることになったのは、湯川書房、戸田勝久さん、
山本善行さんという流れのなかでありましたが、本来であれば富士正晴さんが紹介を
している文章を目にした時に反応すべきでありました。
昨日まで、富士正晴さんの著作を手にしては、加藤一雄さんの名前がでてきそうな
ページをチェックしていたのですが、京都での弘文堂編集者時代にあった人たちの
名前が次々とでてくるのですが、昨日の調査では見いだすことができずでありました。
このあとは、「乱世人間案内」(影書房)と「極楽人ノート」(六興出版)をしら
べることにしようというのが、昨日までのはなしでした。
影書房の本は、ネット古本屋に注文をしておりまして、これは本日に到着する予定と
なっていますし、「極楽人ノート」は探せばみつかるところにあるはずです。
ということで、本日の午前は「極楽人ノート」を探すところからはじまりました。
押入のなかに、その本はありました。まずは、これの目次をチェックです。
ここにあるじゃないですか「おいしい小説 加藤一雄『蘆刈』」。この文章の初出は、
「文藝」76年5月号です。
富士正晴さんは、次のように書きだしています。
「 加藤一雄という小説書きがいるといったところで、大抵の小説読みは、そんな人
聞いたことがないというであろう。」
これは、30年たってもほとんどかわっていないでしょう。
加藤一雄さんと富士正晴さんの接点はどこにあるかですが、これには次のようです。
「 加藤一雄は戦前の京都絵画専門学校の教師時代、こちらは京都の出版社の編集者と
して左京区真如堂の近くの広い、しかし何となく陰気な二階屋へ、二、三度たずねて
いったことがあるが、その用件は忘れてしまっている。本を書いてほしいといいに
行ったのではあるまい。遊びにいったのであろう。彼はどことなくシャレたところの
ある知的な、しかし静かなりに気さくな人物であったような気がする。それが好きで
喋りにいったので、この人物が小説などを書こうとは夢にも思わなかった。それ以後
三十何年、全然会ったことがない。」
富士正晴さんが加藤一雄さんの作品を読んだのが「無名の南画家」でありますが、
これについての感想。
「 読み終わって何ともいえぬ感服の念をおぼえた。このおっさん、美学者だとばかり
思っていたが、こんなに行きとどいた、知的なくせに庶民の世界をからめとった、
こんなにうまい小説を書くとは呆れたなと思ったものだ。早速それを切り取って、
綴じて一本とし、何年かごとに読み返して、そのたびに感服した。・・ひょっとしたら
大正以降、最高にうまい小説なのではないかという気がした。」
略したところには、「芥川龍之介など及びもよらぬ位うまいな」とあるのでした。
これだけでも興味津々となるのですが、さらにそのうえ、以下のようにです。
「 加藤一雄は学識古今東西にわたり、市井の生活のにおい、ぬくみに実に通じ、
澄ましかえったいたずら心がはなはだ豊富なので、やはりうまい小説を、楽しみ
楽しみかいたなあという感銘を受けた。こういう出来上がり方の小説は、時代の
忙しさがますます激しくなって行く今日、ほとんど見ることはできなくなって
いるし、今風の粗雑な読み方では鑑賞が十分行きとどかぬおそれもある。」
「今風の粗雑な読み方」というのは、最近の小生の読み方でありましょうか。
入信にいたらないのは「鑑賞が十分に行きとどかぬ」せいであるようです。
それにしても、今から32年も前の文章であります。
夜になって注文してあった「乱世人間案内」が届きましたが、これを手にして、
真っ先に確認をしたのは、加藤一雄さんの名前でありますが、この本の目次にあった
のは「おいしい小説 加藤一雄」という文字でありました。なんと、文藝76年5月号
初出の文章は、79年刊の「極楽人ノート」に収録され、その後84年6月刊の「乱世
人間案内」に再録されていたのでありました。
それでは、人文書院からでた「蘆刈」の前書きにあるという、富士正晴さんの文章と
いうのは、どのようなものでしょうか。