加藤一雄教 5

 本日も加藤一雄さんについての書き込みをいただいております。
 皆様に書き込みをたくさんいただいているおかげで、加藤一雄さんに関する
情報が多くなっています。ありがとうございます。
 娘さんがいらしてやはり同じように美術研究をやっておられることを知り
ました。このかたのお名前で検索をしてみましたら、最後は短期大学で先生を
されていたとあり、なるほど、いかにも京都らしいと得心しました。
 加藤先生の美術史の講義を受けられたとのことですが、これはいつころのこと
でしょうか。小生の手元にある「無名の南画家」70年刊の奥付には、関西学院
大学教授とありますので、ここが本拠地であったのでしょうか。
書き込みをいただいた方の文面には、「女学生」に人気とありましたので、時代は
小生よりも、もうすこし前でしょうか。
 小生は、71年頃に受講したはずです。1年次の単位は、ほとんど落として
しまって全部で10単位くらいしかとっていなかったので、授業をとったのは
2年次以降と思うのですが、判然としません。この授業もあまり熱心には受けて
いなかったはずです。試験の時に、友人はなにも記することが思いつかなくて、
解答用紙に絵などを描いていたら、まわってきた先生が絵心があるねと声をかけて
くれたという話を思い出しますが、これが加藤先生の試験の時であれば、この話題に
ぴったりですが、これも記憶があやしいことです。とにかく、解答に窮したら
白紙よりもよしということで、やたら絵を描いていたりしたのがいましたから。
 富士正晴さんと加藤一雄さんの接点は、弘文堂時代ではとのご教示をいただき、
すこし富士正晴さんの著書にあたってみたのですが、本日の調査では富士正晴
さんが弘文堂時代の思い出を記している「軽みの死者」(編集工房ノア)には、
加藤一雄さんはでてきません。けっこういいところまではいくのですが、
リングがつながりません。先日に、影書房の本にあると情報をいただいたので、
次は、これをのぞいてみることとします。「極楽人ノート」ものぞいてみる
価値があるのかもしれませんが、これまで目にしている本でも、まったく
違ったキーワードを設定して見てみますと、これまでとは違った世界が拡がり
ます。