打ちのめされるようなすごい本

打ちのめされるようなすごい本

打ちのめされるようなすごい本

 いまさらでありますが、米原万里さんの「打ちのめされるようなすごい本」を
手にしています。この本が刊行されてから2年となり、先を争って読むような
ものではありませんし、ちょうどいい時期でしょうか。新しく購入したスーツを
わざわざ自宅のたんすでねかせて、次のシーズンにおろして着るようなもので
あります。
 この書名のもとになっているエッセイは「うちのめされるようなすごい小説」と
いうものでありまして、これはトマス・H・クックという作家の「夜の記憶」と
いうミステリーを知人の作家にこの小説を読んでみてとすすめられたことから、
この小説はたしかにすぐれたものではあるが、これ以上のものを読んだ記憶が
あるぞということになるのでした。
 「 いや同じように現在と過去を絶え間なく往復する構造ながら、もっと打ち
 のめされるようなすごい小説を、しかも日本人作家のそれを読んだことがある
 ような・・それが何だったのか思い出せないもどかしさを抱えたまま・・・
 そう、丸谷才一の『笹まくら』だった。三六年も前に、最近のミステリーで
 斬新と讃えられる手法を自在に駆使して書かれていることに改めて驚き、早速
 すすめてくれた人に電話をする。『クックで書く気なくす前に『笹まくら』で
 打ちのめされなさい。』・・まだ三十代のHにとって、丸谷の小説といえば
 『女ざかり』止まりで、私の世代ではほぼ必読だった『笹まくら』も『たった
  一人の反乱』も読んでいない。」

 小生は、丸谷才一のことを「文壇天皇」(最近では上皇というほうがあっている
かな)とちゃかしたくなるのでありますが、これまで一番力を注いできたのは
やはり小説でありましょう。十分な時間をかけて発表される作品はその都度話題に
なりますし、新刊ででるたびに求めて読むのでありますが、これが、いつからか
読み直したいと思う作品がなくなったのであります。
 小生が最初に読んだのが「笹まくら」で、それからまもなく「たった一人の反乱」
がでて、これらは単行本と文庫で読みましたので、米原さんが「私の世代ではほぼ
必読だった」とあるのにも納得するのでありました。
 これらの作品は、小生が20代中盤で「うちのめされた」作品でありまして、
これを50代で読み返したら、どのような感想を持つでしょう。
米原さんの文章は、若い時に読んで感動した本を、50代になって再読しての
感想を記するという試みでありました。
 今からどのくらい前かはっきりしないのですが、金井美恵子姉妹が「話の特集」か
なにかの対談で、「若い時には『頭にがつん』とくる読書がいいと感じるのだが、
年をとってくると、じわっとくるのがいい。」というようなことを話をしていて、
それを目にした頃は、「うちのめされる」ような読書経験をすることがなく
なっていたころから、そうか自分は、もう若くはないのであるなと思ったので
ありました。