湯川書房のこと6

 季刊銀花 14号(73年刊)には、湯川書房社主である湯川成一さんの「私の本作り」と
いう文章がのっています。湯川さんは「季刊湯川」を刊行してい時も、編集者のあとがきの
ような文章すら掲載していませんので、この銀花のものは、小生が目にすることのできる
数少ないものです。
「 私の刊行本はほとんど少部数の限定本であるわけだが、実は最初から限定本を作ろうと
 して意図したものでもなかった。むろん、少部数に限定されたものには、争い難い魅力が
 ある。しかし、その魅力も本を手にする側のことであって、刊行者の側にあるわけでは 
 ない。私は、自分の意のおもむくままに美しい本を作りたいとねがった。その結果として
 発行部数が限定されたままである。」

 「 いつころからか、書物の工芸的な美しさというものに魅せられるようになって、病が
 こうじてくるにつれ、自分の手で装幀を試みてみたいという見境のない想いにとりつかれて
 いたころ、 マラルメ『半獣神の午後』初版本への愛着が綴られた鈴木信太郎の随筆に出会った。
  このマラルメの世界的に著名な本をいまだに見る機会がないのだが、鈴木信太郎の文章を
 読んでから、想像の『半獣神の午後』が脳裏にこびりついて、妙なことに見もせぬ一冊の
 書物が結果てきには装本に手をつけさせる発火点のようなものになってしまった。
  作品は辻邦生さんのものと小川国夫さんのものにしようと一人で勝手にきめていた。
 お二人の作品にも偶然出会っていて、いつか本を作るようなことになればお二人の小説に
 しようと思っていた。・・なにごとにもめぐりあわせというものがつきまとうものだと思う。」

 この文章は、このあと最初の刊行本となった「北の岬」が完成したときの喜びに続き、
最後は次のくだりでしめられます。
 「 いつの日にか、書物の工房をつくりたいと思っている。一つの場所で、印刷から製本、
  製函、一冊の書物を作りあげるに必要なすべての作業ができる工房である。そこには、
  版画を創作出来る場所もある。美しい書物を作りたいと同じ意志をもったものたちが
  寄り集まって揺籃印刷本時代に逆戻るのが夢である。」
 
 これが見果てぬ夢に終わってしまうのは、まことに残念でありますが、むしろ次の世で
こそ実現可能な夢であるのかもしれません。